前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

474.私の会社員時代、やってらんない記憶.108

これも悲しかった話、社員ローンの話です。妻と結婚して暫くは2人でアパートに住んでいたのですが、子供が出来た事や色々な事があった為、妻の両親と同居する事になった時の事です。

家を探し始めて、最初は銀行に住宅ローンを申し込むつもりでいたのですが、先輩から社員ローンがあるからそれを使った方がいいとのアドバイスがありました。確かに金利が銀行より安く、返済方法もかなりフレキシブルな感じで、条件が良さそうだったのです。早速、事務のリーダーに相談し内容を聞いてみました。事務のリーダーは事務的にローンの内容とローン限度額、必要書類を教えてくれただけでした。私はそれに従い、書類を準備する事にしました。そして今の家が見つかった為、妻の両親と相談してそこに決め、金額は半分ずつ出し合う事にしたのでした。そして私は事務のリーダーに、家が決まった為、ローンを申し込む話をしたのでした。そして書類を提出したある日の事です。

突然店長から呼び出されたのでした。私は何かと思い店長の所に行きました。するといきなりの叱責。勝手な事をするな、との内容でした。私は何の話か分からず、暫く固まっていました。何を怒られているのか理解出来ずそのまま立っていると、社員ローンの事を怒っているのが分かったのでした。私は、またまたなぜ怒られるのか理解出来ず、「何かまずい事があったのですか?」と、聞いた所、出ました😩「私は聞いてない」です。私は、何で福利厚生の一環の社員ローンで、いちいち店長に報告がいるのか理解出来無かったのですが(こう言った所が私はちょっと足りなかったかな〜😅)、とにかく店長は怒っています。仕方なくお詫びをしましたが、内心では「何でこんな事で怒られるんだ?」と私が逆ギレで怒っていました。

店長は、所謂、根回しが無かった事に怒っているのでしょう(これは今、広島県のある市の議会と市長がやり合っている図式に似ていますね😵。この国は本当に根回しが好きですよね😮‍💨)。こう言った所は本当にやってらんね〜と思っていたので、この時は「またかよ!」とウンザリした気分になったのでした。また、事務のリーダーにもウンザリでした。この時も何も知らんぷり。相談をした時に、アドバイスでもしてくれればいいのにと思ったのでした。こう言った所が、本当に意地悪な会社でした😤。

一瞬、社員ローンを止めて銀行ローンに変えようか考えましたが、既に書類を出してしまった為、進めるしかありませんでした。そしてその後の話です。やたらとうるさい事を言ってきます。必要書類は提出したはずです。しかし今回は両親と共同購入なので、両親の書類も必要との事でした。また担保が必要なので、両親の様々な書類も追加で依頼されました。その中には印鑑証明の他に、両親の資金繰り資料や通帳のコピー、給与証明、履歴書、戸籍謄本等、義父が借りる訳でも無いのに、とても福利厚生の一環とは思えず、これでは銀行ローンにした方が良かったのでは無いかと思いました。先輩に聞いみると、書類は銀行ローンより厳しいかもと言っていました。しかし金利が安いので我慢するしかないと言っていたのでした。また銀行で借りたのがバレるとまた面倒だとも言っていました。私は何が何だか分からなくなり、家を買うという喜ばしい事なのに、とても悲しい気分になってしまったのでした。

それにしてもこんな書類を妻の両親に頼むのは気が引けます。しかしそれが無いと社員ローンは進まないのです。仕方なく妻と一緒に両親の所に出向き、必要書類をお願いに行きました。すると妻の父がビックリした目で私を見たのです。義父も大きな会社に勤めていて、もちろん福利厚生はしっかりしています。そしてこの必要書類を見て私に言ったのです。「これでは一般の銀行より酷い。まるで社員を信用していないようだね。私が借りる訳でも無いのにね。これでは日々の仕事内容も想像が付く。君も仕事をやりずらいと思っているのでは無いか?。こんな会社辞めて、うちに来れるように相談してあげようか!」と言うのです。

義父の会社は担保も取らないそうです。それは入社の時にその人の事を十分審査をしたといった考えからとの事でした。その代わり返済は給料天引き。それで十分だろうとの事でした。それでも義父は私が会社から睨まれないようにと、丁寧にその書類を揃えてくれました。私はその時の義父が言った、「まるで社員を信用していないようだ」と言う言葉が、本当にその通りだと感じて、またまたとても悲しい気持ちになったのでした。本当にこの頃は入社からのイジメがまだ続いていた時期でもあり、本当に義父の紹介で会社を移ってしまおうかと考えた位でした。

その後、無事に家を購入。そして私はそれからと言うもの、早くこのローンを返そうと一生懸命に働く事を決心したのでした。子供を持ち、親と共同とは言え家も持ち、もうイジメられたとか言って、後ろ向きになんかなっていられないと思ったのでした。本当にこの家の一連の事は、只々悲しいと思いました。しかしこれは今考えると、456回目のブログのToshIの言葉のように、この事があったから頑張って仕事が出来たのかとも思っているのです。

それにしてもこの会社は、何でも本当にやり過ぎな感じでした。義父の言う通り、社員からすると本当に仕事がやりづらい会社でした。今は退職して本当に伸び伸びと仕事が出来ているので、尚更感じる所です。そんな事を思ってしまう事も、何だか悲しい気持ちになってしまいます。

人生の大きな転換期にいる人には、いつも気持ちよく応援したいと思っています😊f:id:x-japanese:20230125083927j:image