前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

339.私の会社員時代、やってらんない記憶.64

東京マラソンが終わり、先週は本当に久しぶりに、のんびりグダグダしていました。こんな、何にも追われない気分はいつ以来かな〜。結構身体のダメージが残っていた感じで、やつぱりマラソンは引退した方がいいのか考えてしまう日常でした。しかしグダグダしてても仕方無い、日曜日に10㎞、マラニックをやってみました。その後は結構疲れて、またグダグダしてたのですが、今朝はスッキリ起きられ身体も少し軽くなった感じです。やはり身体は動かしておいた方がいいのか、やつぱりランニングは続けた方がいいのか、考えものです。それはさておき、東京マラソンが落ちついたので、また今週からこのシリーズのブログをアップして行きたいと思います。

これは私が本部に行き、リーダー格の職位にいた時の話です。前回と同様、本部でも年に2回、人事考課があります。そしてこれは281回目の後輩の人事考課の時の話です。この後輩はその時のブログのように既に色々な提案をしており、実際新規事業を立ち上げており、この時も新たな事業を提案して自分で試している時でした。

弊社の人事考課は上から、優秀が5、その下が4、並が3、2、1と続きます。大体が4か3、または2で落ち着きます。5は相当な優秀な事が無いとまず付きませんでした。1も相当なバカをやらないとつきませんでした。そしてこの後輩の第一段階の考課を私がやる事になったのです。私は、それまでの実績と現在の新しい事業の試行錯誤を行っているそのバイタリティを評価して、4の評価を付けました。5を付けてもいいと思っていた位なのです。そして次の考課者である部長へ送りました。

そしてある時、部長から連絡を受けます。それは彼の人事考課の件でした。内容は一つ落として3にするという物でした。理由については、彼の勤務態度、職務態度といった抽象的な言葉でした。今までもこう言った評価が違う事は多々ありました。私自身も随分と上司と話し合いをした事も多かったのです。しかしその理由を言われれば納得する事が多かったのです。しかしこのような態度とかと言われると、感じる人達によって様々な違いが出てきます。

確かにこの後輩は職人気質と言うか、こうと思ったら相手を説き伏せるといった強引な所はあるし、また他部署が絡む案件などは、勝手に話し合いに行ってしまったりするのです。しかし騒動を起こしている訳でも無く、仕事自体を否定するのはおかしいのです。私は、評価を引き下げる事については反対しました。確かにそう言った所はあるが、これは彼のパーソナリティでありバイタリティがさせるものであり、それにも増して仕事に対しては十分な結果が現れていると言ったのです。さらに新規事業の試行錯誤を行っている事にも、そのバイタリティを評価するべきと言いました。部長も色々と私に所見を言ってきます。この辺りでどうも、考課を引き下げる事ありき、の感じがしたのです。ここで私の我が闘争が始まりました。

私は再度、彼の功績を評価した事、実際にその分が利益になっている事、さらに新規事業を立ち上げようと試行錯誤している事を整然と説明しました。しかし部長の態度は釈然としません。私はピーンと来ました。部長も上の役員クラスから言われているのだろうと感じたのです。これは正に271回目のブログの「男の嫉妬」だと思ったのです。この後輩は社長に直訴して、フィービジネスを事業化したのですが、本来こんな経営に関する事は、役員クラスか企画部辺りで考えて提案があるのが当たり前だと思います。おそらくその辺りの役員クラスから、「余計な事をしやがって」、と言った感じでこの後輩は目を付けられたのでしょう。そして部長に指示が出ているのだろうと思ったのです。しかし私はガンとして意見を曲げませんでした。私が考課を落とさないと、部長が直接後輩を説得する必要が講じます。なので部長も私に考課を落として欲しいのです。しかし私も彼のやっている事は本当に立派であり、会社員として鏡であると言い切り、本来このような提言という物は、経営側である役員か、企画部辺りから出る物で、そう言った事も勘案して4評価は妥当と言ったのです。

部長は少し困った顔をして、その場を後にしました。その後、部長は後輩と人事考課の面談をしました。そしてその考課については、後輩も3評価は納得しないと言い、その面談は結構長く続きました。そしてその後は、4のまま決定したのです。その後、その後輩と飲みに行った時に、この話になりました。後輩は私に、考課を下げないでくれて感謝しますと言ってくれたのですが、私は単に仕事振りを評価しただけなのです。別に、あのバカ店長のように飲み友達だからとか、そんな感情は全くありませんでした。

しかしその後、ご周知の通り、この後輩は店へ転勤の辞令が出ます(294回目のブログに書いてあります)。これには私は本当にこの会社の将来は無いと思いました。この後輩はその後、退職してしまい、私もこの影響もあり、定年を迎えるに当たり継続雇用はお断りしました。思えばこれが会社での最後の闘争となったのでした。この闘争をしなければ良かったのか、そうすればこの後輩はそのまま会社に残って、さらなる新規事業を立ち上げたのか。今となっては分かりませんが、最後の最後に、やるせない思いを抱いた一件でした。

人事が万事とは言いますが、今思い返すと私が一番嫌いな心が冷え冷えする仕事だったと思います。f:id:x-japanese:20220830085912j:image