前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

338.私のダイエットとランニング体験記、東京マラソンへの道40

銀座を過ぎ,後は田町までの折り返しのみ。しかし冷静に考えると山手線の駅3つ分の距離です。まだまだだな〜っと思っていると、さらにここで、おや?と思う事が起きました。先程からガーミンの距離と東京マラソンの距離表示がズレて来ているのです。これはよくある事なのです。特に道の広い大会や、私のように写真を撮ったり、休憩の為に端にズレたりする事が多いと、かなり違って来るそうなのです。特にこの東京マラソンは世界標準の大会なので、絶対に距離がおかしい事などあり得ないのです。それにしても1㎞近く違う事に結構愕然としてしまいました😩。

日比谷公園を過ぎると35㎞の標識が見えて来ました。そして自分のガーミンを見ると既に36㎞近く。さっき銀座で見た34㎞は見間違えか?。こういった事は本当に精神的に参ります。ここまで来ると1㎞の違いが正に地獄の距離のように感じて来ます。あと6㎞程度かと思っていたらあと7㎞だったのです。これはキツイ。こうなると途端に弱気になって来ます。右足の裏が攣って来たように感じて来ます。ふくらはぎもヤバい感じになって来ました。妻の言う「臆病風」が吹き荒れているのでしょうか。この通りは田町の折り返しまではほぼ直線です。また、コンサートや皇居ラン等で、新橋や浜松町辺りに泊まる事も多いので、大体の土地勘は分かっています。景色もお馴染みで、「まだこの辺か〜」と思いながら走るのは本当にキツかった。

辛い時や坂の時はあまり前を見るなと言われていますが、あと折り返しまでどれ位なんだろうと、つい遠くを見てしまい、その都度、絶望的な風景が広がっています。ついにキロ辺りのペースも7分を越え8分に迫る感じです。かなり足にきており、いつ痙攣するかといった感じになっていました。館山の時のように、少し走っては止まり屈伸、そしてまた走り出すという感じで、必死に走りました。ここまで来て5時間切れなければ、今までの努力は何だったのかと自分に言い聞かせ,必死で足を前に出しました。右手には東京タワーが見えて来ました。増上寺も見えて来ました。「ToshI feat YOSHIKI」のコンサートを見たプリンスホテルも見えて来ました。f:id:x-japanese:20230308124901j:image

正直、まだここかと言う気分。ここはこのマラソンで一番キツかった場所でした。そして何とか田町の折り返しに辿り着きました。ここでガクガクになっている足を、ガードレールに捕まりながら屈伸や筋の伸ばしをやりました。そこに私と同じ位の男性がおり、思わず「この距離標識おかしく無いですかね〜」と語り掛けると,相手も「本当だよね。長過ぎるよ😩」と言ってました。その後は、お互い頑張りましょうとエールを送り合い、走り出しました。

また延々と続く折り返しを戻って行きます。そして見えて来たのが「あと3㎞」の標識。ガーミンではあと2㎞です😩。f:id:x-japanese:20230308125453j:image

既に歩いている人が殆ど。ここで4時間28分です。9年前はこの時間でゴールしたのかと、少し自分に感心。そして、あとキロ8分程度でも十分に今回の目標達成です。こうなったら後は精神力しかありません。既に体力も限界。足も限界。息も苦しく、肩も腕も張って来て内臓も気持ち悪い感じです。とにかく前へ前へ。一歩ずつ一歩ずつ。それしかありませんでした。もう前方は見ずに,殆ど足元だけを見て走っていました。

そして40㎞の最後の給水所。自分のサプリは既に無く、ここで水をたくさん飲みました。その後は最後の走りの為に屈伸を繰り返します。周りの人からは「あと少しです、頑張って下さい!」と声援を受けます。その応援にお礼をして、最後のスパートに入ります。日比谷公園が見えて来ました。その先を右に曲がれば、最後の花道、丸の内仲通りが見えて来ます。本当に歯を食いしばっての激走でした。

そしていよいよラスト1㎞。この丸の内仲通りもランナーの檜舞台です。両サイドに応援の人がたくさん。その周りは煌びやかなお店がたくさん並んでいます。そしてお洒落な石畳の道。ここを大声援を受けながら走るなんて、考えただけでも興奮してしまいます。私はこの手前で立ち止まり,再度足の屈伸を繰り返し,準備を整えました。そして写真を撮り、「ラスト1㎞、行くぞー」と自分に気合を入れて、最後の力を振り絞りダッシュしました。f:id:x-japanese:20230308131320j:image
しかし足はさすがに前に出ません。直ぐにノロノロ走りとなり、しかししっかりと前を向いて走りました。周りから受ける声援は、それはそれは嬉しく本当に最高な気分。そして目標達成は確実と思うと,本当に天に昇るような気分でした。そして最後の標識42㎞。この先を左へ曲がるとゴールです。f:id:x-japanese:20230308131323j:image

そしてゴールが見えました。思ったより遠くにあるなあと思った瞬間、その左側にはなんと、マラソン有森裕子さんがいるではありませんか(この写真の左端の茶色のダウンの人です)。ゴール直前まで行ったのに、思わずそちらの方に戻っていきハイタッチをして貰いました(こんな事をやってるから距離が長くなるんです😵)。f:id:x-japanese:20230308131711j:image

そして感動のゴール。正式タイムは4時間53分51秒でした。これには大感激。今までの長い練習が実を結んだ事、そして目標を掲げそれを達成出来た事、そしてまだまだこんな歳でもやれば出来るんだと自信に繋がった事、色々な事を思った感動のゴールでした。苦しかった事がこの瞬間に報われて、本当に幸せな気分。これだからフルマラソンはやめられないとも思った瞬間でした。

そしてこの感動の余韻に浸りながら歩いていると、所々でスタッフやボランティアの人達から「お疲れ様でした」「ナイスラン」の掛け声。本当に感激する瞬間が続きます。その後は完走メダルを貰い、大会のガウンを貰いました。ここにはまだコロナ禍の影響が残っていて、本来なら掛けてもらえるはずなのです。しかしそんな事ももう終わるのでしょう。私はメダルを自分で掛けて、ガウンも自分で着て歩いて行きました。その後は参加賞を貰うのですが、そこでもたくさんの声掛けを貰いました。この満足感は何事にも代え難い、本当に最高な気分でした。そして荷物を受け取りホテルへと戻りました。その後、妻もまずまずのタイムでゴール。2人してお互いの力走を称え合いました。

その後は、ホテルの大浴場でゆっくり。達成感と満足感が入り乱れた感情の中で、疲れた身体を労いました。そして、東京駅のレストランで娘達と待ち合わせして、お楽しみのお祝い会です。f:id:x-japanese:20230308132946j:image

我々の力走に対して、「ジジ、バアバ、良く頑張ったね👦」と言うお孫ちゃんの言葉と笑顔が最高のプレゼントでした。しかしさすがにお酒は進まない。やはり内臓が疲れているのでしょう。私はいつもの通り足はガクガク。妻も珍しく私と同じような症状でした。それだけこの東京マラソンは、身体の限界を超えた力が出てしまうのでしょう。

こうして最高の結果で東京マラソンを終える事が出来ました。これもこのブログを通じて目標を掲げ、それを発信する事で、恥ずかしい結果では終わりたく無いと自分に厳しく出来、最後まで頑張れたからだと思っています。やはり有言実行でやり遂げるという事は、素晴らしい事だと思います。また目標を掲げて努力するという姿勢は、いくつになっても大切だと痛感しました。本当にいい経験をしたと思っています。

この後のマラソンについては、現在は白紙状態です。少し身体を休めてからまた考えたいと思っています。しかし、ブログを書く為にこのケータイをよく見てみると、マラソンレース中にも関わらず、全部で写真を28カット、LINEは娘達と友人に計10回送っているのに気がつきました。これを時間に換算するとどうなのかが気になりました。写真を撮るのに10秒とすると、280秒です。LINEはどの位掛かるでしょうか。30秒としても300秒ですよね。すると合計で580秒ものロスタイムが考えられるのです。約10分近い数字です。すると数字上ですが、今回のゴールは4時間43分という計算になります。これには何やら身体の中でメラメラと燃えて来るモノを感じます😳。

あと13分縮めれば,サブ4.5がまた達成出来るかも知れません。こうなるとあの頃に挫折したサブ4目指して頑張りたくなって来ます。既に60歳を越え、身体へのダメージを考えると躊躇してしまいますが、頑張れば達成出来そうな数字が出てくると、長年、営業マンだった血が騒ぐ感じです(未だに、目標だとかノルマだとか達成だとかの言葉に反応する自分が少し嫌になります😅)。また自分の足を見てみると、自分で言うのも何ですが、今現在、結構な仕上がりを感じています。せっかくここまで仕上げたのに、このまままた元に戻してしまうのは何か勿体無い気分にもなってしまいます。

とりあえず、サブ4.5を目指してまた頑張ってみるか、それとも、妻が言うようにファンランやマラニックに変えて行こうか。これはもう少し考えて決めようと思っています。

何はともあれ、最高の東京マラソンという舞台で目標を達成出来て、このシリーズは終了です。またランニング関連のブログは引き継ぎ上げて行きますので、これからもよろしくお願いします。