前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

319.私のダイエットとランニング体験記、東京マラソンへの道29

ラソン当日、我々はスッキリ起きられ、体調もまずまず。妻の膝の具合も、接骨院の先生のお陰で大丈夫そう。ただ、自分の両太ももから腰の辺りが少し違和感があります。昨日のマラソンクリニックで、金さんが結構ハードな体幹レーニングをしていたので、その後遺症かもしれません。これは以前にもあったのですが、その時は、その後走ってみるとそうでも無かったので、今回もそうだと信じて気にしない事にしました。そしてまずは受付を済ませます。久しぶりの大会ですが、まだコロナ禍でもあるのでコロナ対策はしっかりと行われており、当日の朝に健康チェックを受けないといけないのです。まずは一番でこれを済ませる為に会場へ向かいます。

ホテルを出ると外は結構な寒さ。これには妻が驚きました。こんな寒い館山は以前に一度きり。その時は小雪が舞っていたのですが、それに匹敵する位な寒さです。妻は急に怖気付いてしまい、弱気になってしまいました。途中でリタイヤした場合、この寒さをどうしようと言い出します。私はそんな妻を励まし、会場に向かいました。会場へは歩いても5〜6分程度。海の向こうには昨日見えなかった富士山が見えました。そして運動公園の会場が見えて来ます。これには2人して気分が高まります。とにかくここまで来たらあとはやるだけ、頑張ろうと覚悟を決めたのでした。f:id:x-japanese:20230131101403j:image
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そして一旦ホテルへ戻り朝食を済ませると、いよいよ緊張が増して来ます。ここは会場に近いので、スタートぎりぎりまで部屋に居られるので、その点は本当に楽でした。何とか懸案のトイレもクリア。準備としては万全な状態です。そしてスタート前のサプリを飲み、いよいよ出発です。しかしこの時点でも、しっかり練習を積んで来たのだから何とかなるはずと言う気持ちと、もしかしたらダメかも知れないと言う気持ちの交錯はまだまだ続いていました。最後は開き直る感じで、お互いの健闘を祈りホテルを出ました。

沿道には応援の人達が集まり出しています。アップをしているランナーもいます。警察や警備の方達が交通整理をしています。いよいよ始まると思うと、また心臓がバクバクして来るのが分かります。そして会場に荷物を置き、スタート地点へ向かいます。菜の花が、ランナーを出迎えるように咲いています。この大会はこんな景色に本当に癒されます。そして、今回は一番後方からのスタートにしていましたので、列の後方へ向かいます。f:id:x-japanese:20230131102428j:imagef:id:x-japanese:20230202075744j:image
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後ろに並ぶと、久しぶりに見るこの光景。これを見たのは本当に3年前のこのレースです。あれから3年。あの時は自分の前立腺癌の治療の後、回復度合いを試す為に走ったのですが、まさにその時が思い出されました。そしてその後のコロナ禍。長い長い自粛生活が終わり、やっとこうして平常な世の中が戻って来たんだと思うと、本当に良かったと思ったのでした。こうやってまた走れるだけでも良しとしないとバチが当たると思い、今日はとにかくやれるだけの事をやろうと、改めて覚悟を持ったのでした。するとやっと心も落ち着いて来たのでした。

そしてスタートです。この瞬間が一番盛り上がります。皆、拍手をして走り出します。皆んな幸せそうです。街の応援の人達も凄い声援、やっとこの日が戻って来たね〜、なんて言っている人もいました。そんな感動と、頑張れ〜と声援を受けながら、我々はスタートしたのでした。走り出してみると、太もも辺りの違和感は残っていますが、走りに支障は無さそう。気にしないで頑張る事にしました。とにかく完走を目指そう、最初は飛ばし過ぎ無いように、と走り出しました。

今回はかなりサプリメントに注意を払いました。その為ウエストポーチには6種類のサプリと携帯電話が入っているので、結構重い感じがしました。走り出して直ぐに、このポーチに荷物が入っている感覚の練習をしていなかったと思いました。結構重いので、お腹の辺りに当たったり、また腰骨の辺りに引っ掛かったりして、走りにくいのです。これには参りました。しかしその為、スピードを出せなかったのが返って良かったのかもしれません。

前半はキロ6分15秒から30秒辺りで推移。まずは入りの5㎞は順調に走れました。妻とはこの辺りでお別れ、めいめいのペースで走る事にしていました。私はこの辺りから6分15秒ペースで走る計画でしたので、時計を確認しながら走りました。しかし思ったようにスピードが上がりません。それどころか、太もも辺りが何となくダルい感じになって来ました。やはり昨日のマラソンクリニックの後遺症があったのか、その後もダルい症状は続き、精神的にはかなり焦った走りになってしまいました。それでもまずは10㎞の関門を無事通過。1時間5分位で通過出来ました。

このレースでは、金さんのアドバイスで三分割法を取り入れていました。これは42㎞を14㎞、28㎞と分けて前半、中盤、後半と分けて走る事です。1㎞とか5㎞は意識せず、とにかく前半はウォーミングアップのつもりで、中盤は後半への準備のつもりで、後半は全てを使い果たすつもりで、と意識して走れというのです。なのでこの10㎞過ぎからは後半の準備のつもりで、サプリを多く摂取しました。またこんな冬でもマラソンでは大量の汗をかくので、ミネラルバランスを壊しがち。塩分のサプリも気をつけて摂るようにしました。そのお陰か、18㎞辺りからはダルさも取れ始め、まずまずのペースで走れるようになって来ました。f:id:x-japanese:20230131110432j:image

この辺りは菜の花が沿道に咲いていて気持ちのいいコースです。少し下っているので飛ばしたい気分ですが、それを抑えてペースを乱さないように頑張りました。大体5㎞ごとにあるエイドにもしっかり立ち寄り、水分を補給。このマラソンのエイドは暖かい麦茶も用意してあるので、本当に助かります。しかしまだまだコロナ禍、エイドの種類は昔程は無く、また地元の人達の私設エイドも殆ど見られませんでした。これにはまだまだコロナ禍なんだと痛切に感じました。

そして21㎞地点の第二関門も難なく通過。タイムは2時間13分程度だったでしょうか。妻の事が少し気になりましたが、ケータイに何も連絡は入ってないので大丈夫なんだろうと、後半に向けて頑張ろうと再度気合を入れたのでした。この辺りから少し曇って来て、結構寒くなって来ました。時折小雨が舞いますが、降る程では無く、何とか終わるまで持って欲しいと思いながら走りました。またこの辺りでいつも悩まされる腹痛も、今回は事前準備が功を奏してか起こらず、順調に来ていました。

そして中盤も坂の多い所に差し掛かって来ます。まずは第二関門の先にある歩道橋が目印の坂に始まり、そしてその先、左へターン。この辺りは結構応援が出ていました。そして、いよいよ我々がコメリ坂と呼んでいる、23㎞辺りから始まるダラダラ坂に入って来ました。ここから第三関門の27㎞までが、正に正念場。とにかく歩かず何とか6分間15秒から30秒の間で走るよう、気合を入れたのでした。すると前方に集団がいるのが目に付きました。頭に風船を付けた人もいます。ペースランナーです。何時間のペースランナーなんだろうと一生懸命走って近づきますが、中々差が縮まりません。しかし何とかあの風船を追うように走りました。これが功を奏したのか、何とか歩かずに27㎞関門まで到達出来たのでした。つづく。f:id:x-japanese:20230131113349j:image