前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

254.私の会社員時代、やってらんない記憶.9

結婚をすると、当然に家で待っている人が出来る訳ですが、そうなると俄然気になるのが拘束時間です。独身の時は、家に帰っても別にする事も無く、朝はキツかったですが、夜については特に気になる事はありませんでした。当然結婚したからと言ってその会社の生活は変わる訳がありません。妻が、結婚して初めにビックリしたのが拘束時間の長さでした。付き合っていた当時は、平日のデートとかはしていなかったので分からなかったそうですが、とにかく朝はどこまで通勤するのかと思う位早く起き、夜は一体何をしているのかと思う位の時間に帰ってくるという、とにかくビックリしたと言っていました。特に夜の帰宅時間が、飲みに行ったりしていないにも拘らず、毎日のように10時は過ぎていました。終業時間は5時15分です。どう考えてもおかしい。初めは「いきなり浮気かよ😤」と思ったそうです。

この時間に対しては人事で人が入れ替わっても、変わる事はありませんでした。さらに、何故か上司や先輩より早く帰れないという慣習が根付いていたのです。これは私だけに対してでは無く、全ての店舗が、いや、日本全体がこんな感じでした。とにかくその部署の上司や先輩達が帰らないと帰れないという、暗黙のルールがあったのです。本当に「やってられない」職場環境でした。

営業の仕事は担当者ごとに毎日の量が変わって当然です。その仕事量により、その日は残っても意味が無いという日も当然あるのです。だからと言って早く帰る訳では無く、ただひたすら上司の様子を伺い先輩の様子を伺い、周りを見渡してやる事を探し、机に座っている感じでした。営業なので、手当が付いている分、残業など付きません(事務や経理は付いていました😵。それでも随分と削られていました)。なので早く帰ろうとすると、上司や先輩から、「今月の数字は大丈夫なのか?」とか「推進リストはもう作ったのか?」とか、とにかく邪魔をされるという感じです。

この時間に関しては、相当な間、改善される事は無く、平成も半ばになった頃から、ようやくサービス残業なる言葉が巷で言われ出し、労働基準局の査察が企業に入るようになって来て、改善され始めました。しかし、古い考え方の上司や先輩は中々それを変えられず、長く会社にいる事こそ最良という人間が多く、若い世代にとっては本当に迷惑な連中が多かったのです。

その後、会社も様々な取り組みを始めます。まずは夜9時以降の仕事を禁止という通達を出します。これ自体が既に異常ですよね。そして、その頃、運用が開始されたパソコンについても同様に強制シャットダウンという手段を講じます。店舗業績にも残業時間と施錠時間の項目が追加されます。社長と人事の役員が直々に店長にお願いに訪問、説明に来ます。これでやっと改善されて行きます。そしてその後は、その時間が段々と早まり、8時半、8時、7時45分、7時半となって行きました。そして、そうなっても仕事は回って行ったのです。私はこの状況を正にリアルに見ていましたが、人間やれば出来るという事を肌で感じていました。そして、それを妨害する抵抗勢力には本当に「やってらんね〜」とずっと思っていたのです。

私が、その後リーダーと呼ばれる立場になる頃には、遅くとも7時半には終わらせていました。機械化ももちろん進みましたが、しかしその頃は個人情報保護や事務手続きの厳格化等で、やる事が増えており、仕事量は格段に増えていましたが、就業時間は私が営業に出た辺りに比べると、朝も含めて3時間程度は短くてなっおり、この時間は何だったのか、未だに勿体無い時間だったと思っています。

朝から晩まで仕事と言うよりは会社のお付き合いという感じでしたf:id:x-japanese:20220805093750j:image