前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

255.私の会社員時代、やってらんない記憶.10

時間に対しては本当に苦労させられました。本当にこの会社の家族はどんな生活を送っているのか、聞いてみたい位でした。確かにこれだけ有給休暇も取りずらい、平日だったら帰りずらいとなれば、何も出来ません。生活をする上では、奥さんが専業主婦で家にいるしかないと思いました。

しかしそんな中で、私は日々の疲れと無理やストレスからか、風邪をこじらせ肺炎になってしまったのでした。約3週間の入院が必要となり、診断の後、そのまま入院になってしまったのです。たまたま4月の後半に入院した為GWの休日が利用でき、実質は10日程度の休みで済んだのですが、その間は確かに先輩や後輩に迷惑を掛けました。そして病気が治癒して会社に出勤、いきなりまたあの生活が始まるのかと少し暗い気分でいたら、何と上司が暫くは早く帰っていいと言ってくれました。これには驚きと共に、この会社はこう言った優しい所があるので、中々尻をまくれないと思いました。確かに入院生活で寝てばかりいると、その後、元の生活に戻すのは一苦労なのです。

この時はその言葉に甘えて、仕事が終わり次第、帰らせて貰うようにしました。しかし、そこで私は目覚めてしまったのです。それから暫くは6時過ぎには帰るようになったのですが、何と仕事は滞る事は無く、むしろ時間内に終わらせたいと言う気持ちからとても効率的になり、仕事がはかどり業績もほぼ落とす事も無く活動できるようになっていました。

この辺りから、会社の生活を色々と考え直したり、疑ってみたりするようになりました。今まで無理と思っていたけど、案外出来るのではないか。帰りの時間だって絶対無理と思っていたけど、実際出来たのです。そして、もっと効率的に出来ないものか、もっと簡単にならないものか、もっと効果的に業績に結びつけられないか、いつもこんな事を考えるようになりました。しかし、時間に対しては時が過ぎて来ると、また元のようになってしまいました。

そんな事があった年に、私に待望の子供が誕生しました。そしてこの時も、信じられないでしょうが、早退ですったもんだしたのです。私は当時から子供が産まれたら直ぐに駆けつけたいと思っていたので、その頃流行り出した「ポケベル」を契約して、妻に何かあったらポケベルを鳴らすようにと言っておきました。会社に電話してもらう手もあったのですが、とにかく会社を通すと面倒と思っていたのです。この頃は、妻のお腹が段々と大きくなって来る幸福感といったらありませんでした。そして、いよいよ出産予定の月になりました。

そしてある日、営業でお客様回りをしている最中にポケベルが鳴ったのです。いよいよかと思って、公衆電話から家に電話を掛けました。すると妻の母が出て、今入院したとの事。私はすぐに会社に帰り、すかさず早退届を出し帰る事にしたのです。しかし、その時は店長とリーダー、上司が外出していて不在でした。仕方なく他の部署の上司に早退届を提出して帰ろうとしたところ、理由を見てネチネチと小言が始まったのです(この頃は理由もしっかり書かないといけなかったのです😵)。私は信じられない顔でその話を聞いていました。「君が行ってどうするの?」「親に任せておけば?」「会社が終わってから行けば?」等々、言うのです。私は、こいつら本当にやってらんね〜と、それを無視。とにかく帰りますと言って会社を後にしました。今だったら大パワハラですよね。他の部署の連中もこんな奴らばかりで、本当に何とかならないものかと思ったものでした。

その後も、初めての子で妻も大変だし、子供も待望の女の子だったので早く帰りたいものです。しかし、上司や先輩は、「親に任せておけばいい」と、中々帰してくれなかったのです。実は、この出産の数ヶ月前から、私達は妻の両親と同居をする事になり、その辺りも知っているからか、「奥さんの親がいるのだから君が帰る必要はないのだろう」と、言って来るのです。なぜそこまで個人の家庭にまで口を出すのかが本当に理解出来ず、腹立たしさと「やってらんね〜」気持ちが交錯し、ますます反抗したくなる気持ちが大きくなって行きました。

子供の誕生は私にたくさんのパワーをくれましたf:id:x-japanese:20220819083158j:image