前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

250.私の会社員時代、やってらんない記憶.5

その後も色々とイジメは続きました。特にやられたのは休暇についてでした。これは私だけでは無く、とにかく当時の日本中の会社は有給休暇などあって無いようなものでした。先輩からは有給は病気の時に使うものと言われていました。これには、ある程度は覚悟していましたが、さすがにビックリでした。当時やっと土曜日が一部休みになり、金曜か月曜を休めば三連休という事が出来るようになったのです。しかしそんな事は夢のまた夢。社会人になって給料が貰えるようになったら、また鉄チャンでもやろうかと思っていた私は、本当にガッカリしたものでした。そんな事なら会社説明会でしっかり言えよと思ったものでした。それでも私は有給休暇を果敢に申請するようになりました。それもリーダーや上司達は気に入らなかったようです。

私はこの頃には既に今の妻と付き合っており、休みには気分転換で色々な所に遊びに行っていました。その時は少しスキーにハマっていた時でした。既に営業に出てから一年近く達ち、それなりに先輩のイジメにも慣れていました。そんな時、彼女と一月の月曜日に有給を取り、三連休としてスキーの計画を立てたのです。普通は有給の許可を取ってスキーの予約をするものですが、当時の旅行は、旅行会社に行って1ヶ月以上前に予約をするものでした。そんな時に来月の有給を、なんて申請しても受け付けてくれる訳がありません。そんな訳で予約だけして、キャンセル料がかかるギリギリになって有給の申請を出したのです。

すると当然のように却下でした。理由は「先輩達も取っていない休日にくっつけた有給を許可する訳にはいかない」という事でした。この理由には本当に「幼稚園児じゃあるまいし、本当にやってらんね〜」という感じでした。それからは結構、有給休暇についてはやたらとチェックされました。和を乱す奴という烙印を押されているようで、本当に私が何か悪い事をしたのかと叫びたい位でした。この時は旅行を中止するのが癪だったので、彼女はそのままで旅館の方によくお願いをし、私だけ日曜日の夜行列車で帰り、翌朝出勤したのでした。その後、彼女に連絡すると、平日のスキー場は空いてて、旅館の人もとても親切だった、帰りのバスもガラガラで道も空いてて最高だったとの事。この頃は日本中、どこの会社も平日の休暇など中々取れなかった時代だったのです。

その後もこの有給休暇については、延々と上司やリーダーとの不毛な戦いが続きました。会社では基本、有給休暇は使って欲しいので、有給休暇消化月間と称して、指定された月には一日は取るようにという連絡が来ていました。これも今考えればおかしな連絡です。しかしこの頃は殆どが現場の裁量でしたから、この有給休暇でさえ取りづらかったのです。私は先のスキーの件で恨みがあったので、この消化月間だけは絶対に取ってやろうと思うようになりました。有給休暇届を提出した時の上司の顔は、苦虫を噛み潰したような顔をしていましたが、これを却下してしまうと人事部に逆らう事になるので、渋々ハンコを押してくれました(当然当時の申請書は紙です😅)。しかし、そのハンコが、横を向いていたり逆さになっていたり、せめてもの抵抗のつもりだったのでしょう。こんな所もセコく感じて、「やってらんないな〜」と思ったものでした。

私がこんな事ばかりしていたので、先輩達も興味深く見ていたのでしょう。ある月、彼女の有給が取れず、私も特に用事が無かったので有給は取りませんでした。私だって特に用事が無ければ無理をして取る事はしていませんでした。するとある朝、先輩の一人が私の所にやって来ます。私に有給届を出さないのかと聞いて来ます。理由は、その先輩は今月用事があり有給を申請したいのだが、先に出すのは抵抗があるので私に先に出して欲しいとの事でした。私は「は〜?」という感じになり、先輩達も意気地が無いな、と思い、「なんかやってらんね〜」という気持ちになったのでした。

こんな、バスも運休する雪の日ももちろん出勤でした。これはもちろん雪の朝の通勤風景です😵。f:id:x-japanese:20220826072334j:image