前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

94.東京マラソン、2回目の延期

本来なら、昨年の2020年3月に走るはずだった東京マラソン。前年の2019年夏、重粒子線治療のお陰で社会復帰ができ、ランニングも徐々に始めて少しずつ元に戻そうと思っていた矢先に、治療のご褒美のように東京マラソンの当選の知らせがありました。それも妻と2人で😳。これには大感激。やはり目標が出来ると気合いも段違い。本当に少しずつですが毎週走る距離を伸ばして行く事が出来ました。

毎年恒例になっている1月下旬に開催される千葉館山マラソンも、治療明けは、走ろうか、いえフルマラソンを走り切れるのかと参加自体を随分と迷っていたのですが、東京マラソンの試走も兼ねて頑張って走ると心に決め、練習にも気合が入って来ました。秋口にはまず10㎞を軽く走れるまでに回復、年末には半分のハーフの距離を何とか走れるまで回復して来ました。フルマラソンはハーフを走り切れれば何とかなる物なので、とりあえず目標はクリア。館山のフルマラソンに向けて、体調に不安を抱えながらも頑張って行きました。 

一番心配だったのは、退院時や経過観察で医師の許可があったとは言え、この過酷なフルマラソンを走っていいものなのだろうかという事でした。年末のこの段階では、ハーフでさえ走り切った後は身体中がグッタリして、その後は何も出来ない位に疲れてしまっていました。「こんな運動をしてまた再発とかになったら洒落にならないな」と思いつつ、しかし特に医師の制止が無いのだから大丈夫なのだろうと自分を奮いたたせていました。

そして館山マラソンは何とか目標の完走をする事が出来ました。しかしもちろんワースト記録、当日は小雨というコンディションが悪いとは言え最盛期より1時間以上も遅く、さらに妻よりも遅いゴールとなりました。しかし、今回の目的はとりあえず完走。そして自分の身体の状態を確認してから、再度東京マラソンに向けて練習を積む計画でした。久しぶりに走ったフルマラソンは本当にキツかったけど、この達成感や走り切れたという満足感、安堵感は他に変えられない感動であり、改めて東京マラソンを頑張ろうと思いました。

そして2月、少し身体を休ませてから東京マラソンへ最終調整の練習を開始。本番までは2ヶ月弱しかないので、何とか妻と同じタイムでゴールする事を目標に頑張る事としました。しかし巷では何やら不穏な動きが!。そうです、コロナ禍が広がる兆候で日本中、いや世界中がザワつき始めていました。さまざまなイベントが延期、中止というニュースを聞くようになりました。まさかと思いながらも日々練習をしていましたが、2月のある日、何げなく見たネットニュースに東京マラソン延期の記事が出ていました。これにはかなりのショックを受けました。もしかしたら、という気持ちが芽生え始めていたのである程度覚悟は出来ていましたが、この延期には身体中の力が抜けて行くのを感じました。

あれから既に1年半が過ぎようとしています。幸い出走権は残してくれたので、2022年3月の出場変更の希望を出し、こうなったらしっかり練習して自己ベストを狙う位に回復させる事を目標にして練習しする事を決めました。しかしこのコロナ禍、当初はランナーに向かう世間の目が厳しく中々走りに行けない環境にもなりました。そしてその後の退職や再就職等で身体を壊した時期もあり、妻も体調を崩したりと思い通りの練習も出来ず、コロナ禍も中々収まらず、そんな中、東京マラソンから再延期の受付をする旨の連絡がありました。妻とも話し合い、延期やむ無しという事で2023年に延期する事に決めました。約1年半後の東京マラソンとなりますが、この頃までにはコロナ禍が収まっている事を心の底から願うばかりです。

約12㎞のランニングコースがある多摩湖f:id:x-japanese:20210826090033j:image