前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

110.私のダイエットとランニング体験記13

翌日の館山は雨、しかも寒く復帰レースとしては最悪のコンディションでした。しかし雨降って地固まると思い、しっかり走る事を心に刻みました。この時のマラソン大会は館山の復興マラソンとも銘打っていました。昨年の台風で大きな被害が千葉県で出て、館山市内もかなりの被害があったのと事。会場では「がんばろう館山」というシールが配られていました。こんな地元の人と一緒に復興を願うなんていうのもマラソン大会ならではの光景と思います。私は自分の復活も同時に願いながら、頑張って走ろうと心に決めました。

結果はほぼ歩かずに完走出来ました。しかしタイムはワーストのほぼ5時間半。途中はいいペースで、もう少し早いタイムでのゴールをイメージしていましたが、これが今の自分の限界なのだと理解しました。ゴールした時は雨も上がって来て、既にゴールした妻が出迎えてくれました。「よく頑張ったね、ナイスラン!」という妻の言葉に、この2年の闘病生活が頭によぎり思わず涙ぐんでしまいました。本当に走れるようになって良かった、再度ここまで復活できて良かったと心底思いました。身体的にもそれほどダメージは無く、会場からホテルまで北条海岸沿いを歩いて帰りました。いつもなら見事な夕陽が見れるこの海岸ですが、この時は曇り空。でも雨から曇り、そしてこれからは晴れて行くんだという感じがして、この大会と館山の町がこれからの人生にとても力をくれた感じがしました。

そして待望の夕食。良く行く割烹料理店に行き、魚三昧の食事を2人で楽しみました。そのビールの美味しかったこと。そしていつも最初に食べるアジのなめろうは最高に美味しく、生きている実感とはこの事かと改めて思いました。そして久しぶりに走ったフルマラソンの感想や、長かった闘病生活の思い出について語り合いました。そしてその中で、これからの生活についても話しました。と、言うのは、この年が私の定年退職の年だったのです。このまま会社に残るか、それとも再就職先を探すのか、そして老後の生活はどうするのか、色々と話しました。自分達の人生も、そろそろこのフルマラソンと同じように少しペースダウンさせ、少しゆったりした生活にしたいと思うようになりました。フルマラソンと共に2人して第二の人生を歩いて行こうと思いながら、いつまでも2人して盃を交わしていました。そして東京マラソンは2人でゴール出来る事を目標に走る事を決めました。

しかし、この後、日本はおろか世界中でとんでもない騒ぎが勃発しました。そうです、コロナ禍が巻き起こったのです。館山の後、幸いにもそれ程ダメージが無かったので直ぐにランニングの練習をし、東京マラソンに向かい体調を整えていました。巷ではコロナの影響か不穏な雰囲気に包まれ、次々と色々なイベントが延期、もしくは中止になって来ました。まさかとは思っていましたが、ある日、東京マラソン延期のニュースをネットで知りました。これには2人して大ショック、こんな事で大会が延期となるなんて初めての経験でした。いや、こんなウィルスで全世界がパンデミックとなり緊急事態宣言が出たりロックダウンとなったりと、信じられない事が起きてきました。私の退職の年はこのようにとんでもない事になり、ランニングはもちろん再就職活動も行えず、コロナ禍に巻き込まれて行きました。

雨の中「がんばろう館山」のシールを貼って走りましたf:id:x-japanese:20210906122531j:image