前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

592.初老オヤジの資格挑戦記.7

その後、約20年近くが経ち、その間、試験を受けようとは全く考えませんでした。しかし、心の片隅に残っている「負け犬」の感覚は消えず、いつかリベンジしたいと言う気持ちは、ずっと燻っていたのでした😮‍💨。会社の資格取得の奨励は、その後ますます拡充され、さらにそれがポイント化され、このポイントが昇進の条件になっていました。なので、私の退職の頃は、宅建や私の持っている資格取得者はそれ程珍しく無く、かなり高度な資格を取る社員も増えていました。そして、暮れの社内報を見る度に、その年の宅建合格者の欄ばかり見ている自分がいました。その都度、心の奥底が痛むような感じで、この感覚をなんとか出来ないかと思っていたのでした😔。

そんな社会人生活もそろそろ終わりになり掛けた頃、もう一度、最後の機会と思い、受けてみようかと考えた事がありました。このブログのテーマである、前立腺癌の治療が終わり、その後は定年までの約1年、会社の好意もあり割とのんびりと仕事が出来るようになったのです。この、ストレスの少ない会社の環境と、現役バリバリの時は中々取れなかった勉強時間と、家庭的にも落ち着いているこの時なら、最後のチャンスかもと思ったのでした🧐。

そしてまずは久しぶりに、本屋の宅建コーナーに行ってみました。するとそこには以前と比べ物にならない程の書籍が並んでいました。そしてネットからも情報がたくさん溢れていました。時代は大きく変わっていました。特に、過去問や解説、勉強のやり方、その他の情報はネットの方が充実している感じであり、頑張れば全くお金を掛けないで、独学で試験に挑戦出来る環境になっていたのです🤔。

これには少し気持ちが動きました。今現在、環境がすべて揃っている状況なのです。さらに定年退職が、そろそろカウントダウンに入っていたのです。ここで宅建を取っておけば、今の私の資格と合わせて退職後の就職活動にも有利に働くかも、と思いました💪。これにはかなり迷いました。それからはネットで過去問を見てみたり、本屋に行って参考書を読んでみたりと、少し様子を探ってみたのです。

しかし見れば見るほど、あの頃、苦戦した事を思い出します。長い問題文、分かりづらい言い回し、民法の専門用語、宅建業法の丸暗記、法令上の制限の細かい決まり、等々。そして、あの時勉強した知識が殆ど残っていませんでした。あれから20年経っているので、当たり前かも知れませんが、自分には、かなり厳しそうな現実を感じました。さらに新しい項目も増えていました。そして合格率や受験者の内訳等を見ると、既に60歳間近の私が太刀打ち出来る訳が無いと、見れば見る程、思ってしまうのです😖。

そんなこんなを思っているうちに、やっぱり無理、歳を取り過ぎたかなあと思うようになり、どんどんと時が過ぎて行ったのでした。それと並行して、いよいよ自分の定年退職も近づいて来ました。今度はこの悩みが出て来たのです。このまま会社に残る継続雇用を選択するのか、それとも新しい会社の就職活動を始めるべきなのか。そんな時に、今の会社からオファーを受けたのでした。そうなるとこの宅建を持っている意味がありません。そして、これを契機に、もう宅建等の資格にチャレンジする事も無いだろうと思ったのでした😞。

 その後は定年退職して今の会社に就職しました。その時は既に宅建の事など忘れており、早く新しい会社に慣れる事に専念するようになっていました。そしてその後は順調に今の会社に馴染めて、平穏な第二の会社員人生を送れるようになったのでした。新しい会社の業務は、社長の言うようにそれ程ハードな物ではありませんでした。日々の仕事をルーティンでこなす事がメインで、慣れるまでは大変でしたが、半年も過ぎるとその仕事にも慣れて来て、かなり楽になりました😊。

こうなって来ると、以前の会社に比べ、仕事の内容に物足りなさを感じるようになって来ました。本当に贅沢な悩みでした。初老のオヤジがこんなのんびりと仕事が出来る環境なんて、中々無いのです。そんな環境に感謝しつつも、何か物足りなさを感じ生活をしていました。そしてやはり落ち着いて来ると、あの宅建の事を思い出すのです。この負け犬の感情は、小さいですがいつまでも燻り続けるのかと、少し愕然としたのでした😨。

そんな時に、570回目のブログで書いてある、事案を聞いたのです。この出来事は結構私はショックでした。この会社の社長は、やはり私の退職前にオファーをくれた人でした。その時の条件は、グループ会社の不動産の責任者をやって欲しいとの事でした。しかしその時はもちろん私は宅建の資格は無し。私は躊躇しました。条件面は問題無く、かなり食指が動きました。しかしこの会社に入れば、必然的に宅建の資格が必要となるのが目に見えています。社長はそうは言いませんでしたが、不動産の会社の責任者が無資格者なんて、現場ではどう見られるか分かりません。結果、お断りをして今の会社にお世話になったのでした。

この話は私に結構な影を落としました。若い頃頑張って宅建を取っておけば、この会社に私が就職して、業務を縮小する事も無かったのだろう。退職前にやはり頑張って試験を受けるべきだった。後悔の念で一杯になったのです😩。別に私のせいでは無いのは十分分かっているのですが、何か自分の思い切りの無さに、改めて情けなさを感じてしまったのでした。

そして私は一念発起したのです。いつまでも燻り続ける「負け犬」の感情の撲滅と、「取っておけば良かった」と言う後悔の念の打破、そしてこの社長への勝手な恩返しをしたいと言う気持ちから、改めて宅建の試験に挑戦しようと思ったのでした💪。やはり、物事を始めたり頑張る原動力となるのは、モチベーションが必要です。またこれにはもう一つの訳もあったのです。それは翌年、いよいよ娘婿が帰国し、娘のワンオペが終わる事が決定的になったのでした。今まで面倒を見ていたお孫ちゃんが来なくなるのは寂しいですが、かなりの時間が捻出されます。これらを原動力に、頑張る事を決意したのでした😊。

しかし既に60歳を越え、そろそろ年金の案内が届く年頃です。決めたはいいが本当に出来るのだろうかと、今度は不安ばかりを感じるようになったのでした。しかしも後戻りはしない、2024年の年始に抱負を掲げ、とにかく挑戦する事にしたのでした💪。

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