前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

41.会社への報告と父の死

癌が見つかった時点で会社には報告していましたが、その後は治療の方法や日程が決まらずスルー状態でした。法医研に決め診察に行き入院日程が決まったので、会社に報告したのはそれから半年ほど経った頃で、4月の下旬でした。7月から夏季休暇を含め約3週間の休暇申請を出しました。半年も経過していると職場の人は皆、私が癌である事を忘れてしまっていたようで、上司は身体優先と快諾してくれましたが、現場は微妙な雰囲気でした。その分仕事が皺寄せとなるので、この仲間達に迷惑がかかる事がすごいプレッシャーとなりました。しかし入院まで約3ヶ月あるので仕事を計画的に進め、ほぼ迷惑をかけずに済みました。これは私が定年間近でもありお客さんをあまり担当していなかった事と、また割と特殊な業務であった為、業者やお客さんとのスケジュール調整が比較的容易で、長期休暇の取得が可能だったと思います。自分の職場で働き盛りの年代でこのような長期療養は厳しかったかと思います。まだまだ日本は休みずらい習慣が脈々と残っていますよね。この辺り、身体を一番に考え、自分がいないと困るのは会社だけではなく、むしろ家族なのです。若ければ若い程、会社は自分がいなくても何とかまわっていく位の気持ちを持って、治療に専念するようにして欲しいと思います。そんな私でも、入院の翌日から出社する事にして休暇は一日でも少なくするようにしました。上司はその週くらいは自宅静養しないのかと言ってくれましたが、休暇に対する罪悪感がそうさせたのだと思います。そして、ほぼ治療の準備が整った時に、思いもよらない父の死の知らせがありました。私の病気が見つかってから自分も体調が良く無いのにも拘らず、随分と気にかけてくれてました。この頃はかなり容体も悪く、私の入院中にもしもの事があったらどうしようなんて考えていたのですが、その前に逝ってしまったのです。きっと私が気を揉むのを見越して、治療に入る前に逝ってしまったんだなって思いました。父は愛情を表に見せないがしっかり見守ってくれる、そんな人でした。自分は父に何もしてあげられなかったけど、きっとこれからも我々を天国で見守ってくれるのだろうなんて、子供みたいな事を自然と考えていました。

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