前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

502.私の愛車遍歴の思い出、15

ミラージュを買い彼女が出来た事で、その頃は私は有頂天な気分。しかしその後は色々と厳しい現実が待っていました。まずは車庫でした。父は約束通り会社の倉庫を整理して車庫のスペースを作ってくれました。そこで無事に車庫証明も取れました。しかしこの車庫がかなり出しずらかったのです。スペースを確保してくれたとは言え、それは仕事の方が大事なのは当たり前です。そしてそこには兄のローレルも置いてあるのです。車庫スペースは縦長になっていたので、私のミラージュはローレルの奥へ突っ込むように入れなければなりませんでした。そしてこの駐車場が少し斜めだった為、入庫の時は頭から突っ込んで入れ、出す時はバックで出るのです。さらにその道は4m道路の一方通行。車通りはそれなりにある道でした。そしてその車庫、元々は倉庫なので入口にシャッターが付いたいたのです。

この車の出入りがかなり大変でした。出る時はまず、重いシャッターを開け、兄のローレルを一旦どかします。バックで恐る恐る出します。後方が死角で全く見えないので、少しずつバックしてクラクションが鳴ったらまたやり直し、といった感じです。そしてバックで無事に車庫から出ると、直ぐ近くにちょっとしたスペースがあって、そこにローレルを一旦置きます。そして急いでミラージュまで走り、同じようにバックで出すのです。そしてミラージュは車庫の先の細い道を左折して、そこに一旦置きます。そして急いでローレルまで戻り、一旦バックしてあとは頭から突っ込みます。シャッターを閉めてミラージュまで走り、やっと出庫完了です。車庫の前は、あるデパートの女子寮だったので、時折その光景を見ている女性達がいて、後半の方は私の手早さとあざかやさに拍手された事もありました😅。本当に今考えても、よくぶつけたり事故ったりしなかったなあと、我ながら感心する位の駐車場でした😅。

そしてまたまた大変になったのが、財務状態でした。貯金も殆ど吐き出してローンの返済も始まります。彼女も出来た事により、ちゃんとしたデートに行く事も増えて来ました。アルバイトをしていたとは言え、ドライブに行く資金は中々厳しい物がありました。そこで仕方なく、暫く封印していたデリカからのガソリン奪取を始めました。これでミラージュのガソリン代は只になっていました。時には彼女にも手伝わせて、デリカからガソリンを取っていた事もあり、よくこんな事をさせて愛想を尽かされなかったと思います。また会社でもこれはある程度バレていたと思います。社員からは「バカ息子」と思われていたのかと思うと、今更ながら、父や祖父には悪い事をしたと反省しております😵。

また、このミラージュ、結構参ったトラブルもありました。ある日のデートで高速を走っていると、突然カセットプレーヤーが動かなくなりました。次のサービスエリアで止まり、色々調べましたが原因が分からず。仕方なくそのまま走ろうとした所、エンジンが掛かりません。バッテリーが上がってしまったのです。仕方なくJAFを呼び修理をして貰いましたが、原因はエアコンとカセットの使い過ぎと(当時のバッテリーは弱かったな〜😵)、あと充電するファンベルトがかなり緩んでいたようなのです。これはその後もトラブルが多発し、結局、このバッテリーやベルトは交換する事になりました。この辺りも安かった原因なのでしょうか。当時の車は、こう言った電気系のトラブルは結構ありましたが、やはり安い車を買うとそれなりなのかと思っていました。

さらになぜかタイヤの摩耗があり、割と直ぐに変える羽目になりました。また、改めてよく見てみると、フロントグリルに三菱のエンブレムが無い事に気が付きます。また後ろにはやはり車名とグレードのプレートが無いのです。この辺りはよく見ないで買ったからか。「この車、ちょっとヤバいんじゃないか」と、その都度不安が過ぎりましたが、そこは、彼女を振り向かせてくれた車です。その辺りはあまり考えないようにしました😵。

そしてさらに参ったのがローンのボーナス払いでした。私は、これが毎月の返済に上乗せされる認識では無かったのです。ボーナス時は5万円だと思っていたら、毎月の2万円に5万円が上乗せされ、7万円だったのでした。これにはかなり焦りました。さらに追い討ちを掛けたのが、点検、そして車検でした。車検ともなると下手をすると10万円近く掛かって来ます。そしてさらにさらに、春になると自動車税なる税金がやって来ます。1,400ccだったので3万円程度でしたが、春休みやGWが終わった頃届くので、金欠状態です。これもかなり参りました😵‍💫。当時は本当に毎月が火の車状態。何とか節約出来たのはガソリンだけで(節約では無いのですが😅)、やはり車は維持費が掛かる物だと実感するのでした。

しかし何とかアルバイトを頑張り、耐え忍んでいたのでした。時には夜、別のアルバイトも入れ、ダブルヘッダーで頑張った時もありました。そしてその後、さらに大変だったのが就職活動でした。その時私は、私の大学からは中々厳しいと言われた会社の就職を目指していました。なので、在学中でも結構遊んでいたにも拘らず、真面目に就職の情報を収集していたのでした。

そしてやはり大学4年の就職活動期間は、アルバイトはもちろん、遊んでられない感じになって来たのです。大学の就職部へ行ったり、会社訪問をしたり、その会社の先輩に会ってもらったり、また試験や面接もあるので勉強をしたり、調べ物をしに図書館へ行ったりと、アルバイトに行く暇が無くなってしまいました。ある程度資金的にも準備をしてこの就職活動をしていましたが、心の中では、いつまでも内定が下りなければアルバイトが出来ず、返済が行き詰まってしまうと、気が気では無かったのを覚えています。幸いと早々と内定を貰えました。アルバイトを休止していたのは3ヶ月弱で済みました。その時は内定よりも、これでアルバイトが出来て返済が滞らなくて済むと、そちらの方が嬉しかったのを覚えています😵。そしてそこからまた猛然とアルバイトをして、お金を稼ぎました。

そして就職が正式に決まり、資金的にも精神的にもかなり楽になりました。日曜日の彼女とのドライブも、もうデリカからガソリンを取らずに出掛けられるようになりました。そしてこの就職が決まった事で、我々は将来の事を話し合うようになり、その後、結婚へと向かうようになったのでした。そして旅行も彼女の親から許しを貰い、泊まりで出掛けるようにもなって来ました。それまで中々行けなかった清里(今は随分と廃れてしまったようですが、当時は本当に可愛らしい街でした)や箱根、軽井沢、伊豆、房総等に行きました(もちろん鉄チャンにも😅)。

このミラージュはこの頃でも結構若い女性達に人気があったので、彼女と2人でドライブしていると見られている事を多々感じました。そんな時はわざと窓を開けてご機嫌な音楽を流し、颯爽と通り過ぎるのです😅。こんな事が出来るようになった事に万感の思いがありました。それも猛アタックした彼女が隣に乗っているのです。本当に今まで苦労して来たけど、その後には素晴らしい事が待っていたんだと、この頃は人生バラ色だと心底思っていた頃でした。

そしてこの一連の事を、彼女も両親に話していたのでしょう。彼女の父には当初、結婚は反対されましたが、最終的には「おまえの彼は、何だか知らないけど食べさせる事だけは絶対にしてくれそうだ。」という理由で、結婚を許可してくれたのでした。ミラージュはその後、結婚した我々と共に、あの狭い駐車場から出る事が出来ました。少し郊外のアパートに住み、妻はその後も働き、通勤の関係で車を使うようになり、ミラージュが妻の通勤車となり、毎日ご機嫌で乗って行くようになったのでした。あの時頑張って買った車を、妻となった女性が通勤で使う事になるなんて思ってもみなかったし、その嬉しそうな姿を見ていると本当にこのミラージュを買って良かったと思ったものでした。もちろん、休日には色々な所にドライブに行きました。本当に思い出深い車でした。

このミラージュは本当に我々を取り持ってくれた「恋のキューピッド」だと思っています。この後も愛車遍歴は続いて行きますが、今もこの車が新車の状態で買えないかなあと思っています。一時、フォルクスワーゲンが、ビートルという車を復刻販売した事がありましたが、あれをぜひ三菱にはミラージュでやってほしいと思っています。若い頃の思い出の車に乗れるなら、多少お金を払ってでも手にしたいと思っている人は、結構いるんじゃないかなと思っています。

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