営業成績が振るわず苦しい時期は、その後暫く続きました。この地区の前任者である先輩はやり手と言われていましたから、その後任は中々厳しいのは営業の連中だったら誰でも分かる事なのです。そんな所に新人を充てるなんて、今思うとまさに「やってらんね〜」という感じです。後で聞いた話では、この先輩の後は誰も担当したがら無いので、新人である私を据えたとの事でした。イジメの一環だったのかと思いました。その上、先輩のフォローが無い状態では成績など残せる訳がありません。さらにその後、私にはとんでもない災難が待ち受けていたのです。
私はそんな訳で、事務手続きや事務フロー等の指導を殆ど受けていなかったのです。これは本来であれば、前任者がしっかりとマンツーマンで教えると言うのがこの会社の暗黙のルールだったようですが、私のデビュー時には前述した事があった為、先輩としても面白く無かったのだと思います。そしてある時、本社から検査部の人達がやって来て、事務フローがしっかり行われているかのチェックがありました。まず営業の連中がチェックを受けるのです。一人一人、検査部の人が事務の仕方のヒアリングと持ち物のチェックを行います。
そして私の番になりました。私は臆する事も無く、検査の人のヒアリングを受けました。すると検査部の人が少しずつ不機嫌になって来るのが分かりました。そしてその後はそれを通り過ぎて、笑い出したのです。そして、「君は今年営業になったばかりなんだよね。君の上司と前任の先輩を呼んで来て」と言われたので、呼びに行った所、いきなり検査部の人がその二人に怒り出したのです。要するに何もちゃんと事務を教えて無いというのです。私はこれを聞いて、「マジか」と思いました。そしてその後、検査部の人達が帰った後、今度は私が上司と先輩に別室に呼び出され叱責されたのです。これには私はこの一連の出来事に、「やってらんね〜」と思いました。
結局、私は事務を殆ど教わらずに営業に出ていたのです。何と言うか、男の世界もこんな風な嫌らしさがあるんだという事を初めて感じたのでした。それまでの環境と言えば、「男たるもの」とか「されて嫌な事はするな」とか、任侠映画の世界のようですが、そんな人達が周り多かった為、所謂「イジメ」に会う事などほとんど無かったのです。この頃はまだイジメ問題についてはそれ程社会問題にはなっていなかったので、私もそれ程意識はしていませんでした。イジメられているとか、辛いとか、悲しいとかでは無く、「何だよこの会社」と思い初め、それこそ「やってらんね〜」と言う感覚で過ごすようになったのです。
その後は、今度は事務を徹底して教育するというフレコミで、私への指示や監視が始まります。それがまたイジメのようで、まず初めに訓示のような物を話され、その中で背が高いと怒られたのです。私の身長は平均よりは多少高い程度で、そんな意識は全くありませんでした。「???」の顔をして「どういう事ですか?」と聞いたら、お客様を見下ろすからだそうです。これには逆に吹いて笑ってしまい、それがまた反感を買ったようで、さらに怒られました。さらにその後は、日頃の事務で不備等があると、その都度ソロバン(電卓など無かったのです😅)で頭をコツかれました。今で言えば完璧にパワハラです。そのくせ、営業のやり方に対しては全く教えてくれる事はありませんでした。これから暫くは本当に会社に来る事が辛く、仕事も上手く行かず、聞く人もおらず、よく会社に行ってたなあという位、精神状態は段々と悪くなり、人生最悪と言った時期でした。営業部になって3年位は、いつ辞めようかと考えていた位でした。X-JAPANの音楽と出逢うのはまだまだ後です(このブログの112回目からを読んでみて下さい)。本当に辛い時期が続きました。
しかしこのような状態ですと、さすがに歳の近い先輩なんかは気の毒に見えるようで、結構慰めてくれました。また時折、飲みにも誘ってくれました。先輩達からすると、上司達の鬱憤晴らしを全て私が受けているイメージであり、私が風避けのような役割になっているので申し訳ないという気持ちもあったようです。この頃のイジメはこんな風に、キツい事も多かったですが陰湿では無く、また周りが助けている事について、当事者達がガミガミ言う事はありませんでした。事務の女性達も次第に私に色々と手伝ってくれるようになっていました。こんな所はいい会社なんだと思っていました。
その後も精神状態は最悪、よく神社にお参りに行ってました。