前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

386.私の会社員時代、やってらんない記憶.69

またまた脱線してましたが、このテーマに戻ります😅。ここまでは、やってらんね〜といった、私からの一方的な事ばかり書いて来ましたが、もちろん私にも失敗談はありますし至らなかった所はたくさんあったと思います。しかしそれは当然の事であり誰でも最初はそうだと思います。この辺でその失敗談を書いて行こうと思います。

私の失敗談と言えば、その殆どが新人から営業3年目位の間に集中しています。今考えると何でこんな事で、という事が殆どです。それは言い訳になってしまうのですが、やはり前述の通りイジメを受けていた事が原因だと思います。ろくに引き継ぎも無く研修も無く、いきなり放り出されるように営業に出された訳ですから、今思い返してみても、失敗が無い方が逆に奇跡だと思っています。更にこの前任者が優秀な営業でしたから、顧客だって戸惑ったと思います。お互いにどう接していいか分からず、新人ですから仕事の話をしてもツーカーという訳には行きません。当時は顧客が私を通り越して、前任者に連絡する事もザラにありました。その都度、怒られる事も多かったので、たまったもんじゃありませんでした。その他にも、本部の検査で怒られた事なども(248回目のブログの事です)、私は冗談じゃないと思っていたのです。

こんな不条理な事ばかりでは、やってらんね〜っていう感じで、相談する事も聞く事もしなくなります。しかし、いざ顧客から依頼を受けてもどうしていいか分からず、何とかして対応したいと思うのですが、そこは新人の悲しさです。自分1人ではどうする事も出来ず、時間切れの苦情となります。大体8割方がこう言った物で、その都度、前任者やら上司やらが文句を言いながら後処理をしてくれていました。自分が情け無く思う反面、何でこんなに理不尽な扱いをされるのか、本当にやってらんない感じでした。そしてこれでさらに相談とかをしたく無くなり、悪循環に陥って行くのでした。しかし、この約3年間が私を強くしたと言っても過言ではありませんでした。絶対にこの失敗を繰り返さない、いつかこいつらを見返してやると思っていたのです。

さて、こらから書く私の失敗談はこれらの一般的な事では無く、その後に起こった主な失敗を書こうと思います。営業を3年も過ぎて来ると、嫌味な先輩などが転勤して行った為、色々な先輩や上司にも聞ける環境になって来ました。その結果、さすがに単純な失敗は影を潜めて来ました。しかし、まだまだ分からない事もたくさんありました。まずは、あるVIP先の奥さんから紹介があった顧客の話です。これは営業5年目位の時、ある日その奥さんから、自分の弟の面倒を見てやって欲しいとお願いがあったのです。内容は、中々商売が軌道に乗らず、安定した仕入れ先を見つけられないので、弊社で面倒を見てくれないか、との事でした。決算内容は良くないので、自宅を抵当に入れてもいいと事でした。私は、それなら全く問題無いと、二つ返事で受けて早速、その弟に会いに行ったのです。

そして先方の希望を聞き、自宅の資料を貰って会社に帰り、早速書類を作成しました。すると翌日、事務方から、この自宅は担保に取れないと言うのです。私はその意味が分からず、事務の担当に再度聞きました。普通に建っている家なのに、なぜ担保にならないのか分かりませんでした。事務からその説明を聞きますが、無道路地だとか、建築不可だとかそんな言葉、聞いた事がありませんでした。そしてここが失敗のキーポイントでした。その意味をしっかり理解せずに、とにかく対応出来ないなら早い方がいいと、弟に説明したのです。しかし内容をしっかり理解していないので、説明も右往左往してしまいます。

弟は必死に弊社にお願いをして来ます。しかし最後に、事務方が言っている以上、担保に取れない自宅だそうだから無理という話をしました。これがまた良くない対応でした。302回目の「本部が〜」と同じ対応をしてしまったのでした。そして、それをその後、紹介してくれた奥さんに説明し、その後の対処法を考えていた所、今度は弟から「そんな格好悪い話をなぜ姉にするのか?」と大変な剣幕で苦情を言って来たのです。そしてそれと並行するように、奥さんからも「姉弟間の仲があなたのせいで悪くなった」と言われてしまったのでした。双方とも大変な剣幕で私も途方に暮れるとはこの事かと、どうしていいか分からずにいました。

この時は、嫌味な上司の後任にやって来た上司に救われました。私が悩んでいたのが分かったのでしょう。私も来たばかりの上司にいつ相談しようか悩んでいた所だったのです。「どうした?何があったか?」と、この一声がどんなに嬉しかった事か。今までこんな対応を受けた事が無かったので、この時は本当にこの上司が、神様のように見えました。早速内容を話した所、直ぐに奥さんの家に訪問する事になりました。その事前対応の為、上司は事務方から内容を聞いていました。そしてそれを私にレクチャーしてくれました。この時、初めて、この問題になっている不動産という物が分かったのです。

そして最終的には担保はやはり取れないので、担保は奥さんが取り、奥さんには弊社で保証人になってもらい、商品を卸す事で納得してくれたのでした。今現在、こんなやり方が出来るのかは不明ですが、その時出来た最高の解決策だったと思います。最後にその上司は、私に不動産の事をもっと勉強しろと言ってくれたのでした。この後、私が不動産の事を勉強したのは言うまでもありません。

これは、この上司が居なかったらと思うと、今考えても本当に恐ろしいと思った事案でした。この上司はその後、直ぐにまた、店長として転勤して行きました。そのスピード出世に、凄いと思ったのですが、その後、この上司は体調を崩して少し精神的に病んでしまったのです。それは271回目のブログのような男の嫉妬をされたのでしょう。少し強引な所もあり、無理矢理に案件も通す所もあったので、審査辺りから目を付けられていたそうなのです。この上司も少し目立ち過ぎた為、上から目を付けられたのでしょう。今思い出しても、やってらんね〜思い出です。

最後は少し内容がズレてしまいましたが、この事案はその後の私に、不動産を勉強するという大きな教訓を与えてくれたのでしたf:id:x-japanese:20220915085333j:image