前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

247.私の会社員時代、やってらんない記憶.3

そんな営業生活が始まってすぐの事です。私の会社は一応営業エリアが決められており、一人一人地区が割り当てられていました。その時割り当てられた担当地区が、偶然にも学生の時にアルバイトで配送をしていた地域と被っていたのです。営業で先輩に付いて回る実習が終わると、いよいよ担当地区の引き継ぎが始まります。バイクを一台充てがわれ、先輩と一緒に引き継ぎが始まったのです。

大体のパターンが、この引き継ぎで道が覚えられなくて、新人営業はヒーヒー言う物なのだそうです。それを見て先輩達は密かに楽しむのが通例のようでした。しかし私はそんな経緯があったものですから、下手をすると先輩よりも道に詳しく、逆にこっちの方が近道ですなどと教えてあげたりしたものですから、先輩としたら面白くありません。営業から帰ってくるとそんな私を見て何か変な雰囲気になっているのが分かります。おそらく先輩同士で私の噂をしているのでしょう。別に道を知っていたからって、悪い事をしている訳じゃないし、何が悪いんだという態度も悪かったのでしょう。何となく、今年の新人は面白くないな、と言うような私に対する風当たりが強いように感じました。

そんな感じで直ぐに営業回りに馴染む事が出来ました。そしてエリアに慣れた所で、いよいよ先輩と同じように営業活動をする事になりました。敢えて職業は伏せておきますが、当時の私の会社はとにかく全社一丸となって新規顧客の獲得が叫ばれており、所謂ノルマがあったのです。そこで面白い事が起きたのです。大体の新人営業はこれで参ってしまいます。新規獲得ですから全く知らない人と話す事になります。この辺りで鉄チャンの趣味が大いに役立ったのです。鉄チャン時代には知らない人と話すのはお手のもの。趣味の世界では無いとは言え、知らない人と話す抵抗は無く、さすがに断られる事が続くと意気消沈しますが、この辺りは割と耐えられたのです。

またこの地区は以前アルバイトで回っていた所でもあるので、知っている人もいたのです。ダメもとでその人達の所へ行ってみると結構歓迎されて、取引が貰えたりしたものですから大変です。何と最初の月のノルマを一番で達成してしまったのです。これには私の前任の先輩としたら格好が付きません。これでまた営業の部屋の中は不穏な空気が流れました。上司も、なんと言うか私の事を、場の雰囲気を乱す奴のような対応をするようになりました。何だかいい事をしているのか、悪い事をしているのか分からない気分になり、この雰囲気にも「やってらんないな〜」と思っていたのでした。

また私がお酒が強かったのも面白く無かったようです。私の一年と二年上の、事務の人を含めた先輩達4人は皆さんお酒が弱く、新人の頃を初め、その後も仕事の帰りとかにも随分と飲まされて大変だったそうです。私はと言えば逆に上司やベテランの先輩達より強く、飲まされて潰されるなんて事は無かったのです。バーやカラオケスナック(まだカラオケボックスが無かった時代です😅)に連れて行かれても、既にアルバイト先で色々と経験していたので、特にオロオロする訳でも無く、その辺りも今年の新人は面白く無いという事で、徐々にイジメの対象のようになって行ったように思います。因みに当時のカラオケスナックは、エイトトラックカラオケと言われた機械で音楽を掛け、歌詞は本を見ながら歌っていました。その扱いなんかもお手の物で、歌も良く知っていたので、その辺も面白く無かったのだと思います。

こんな感じで新人として配属されて数ヶ月があっという間に過ぎて行きました。しかし営業はそんなに甘い物ではありません。たまたま続きでいい成績を収められたのは初めの方だけで、その後は鳴かず飛ばず状態になりました。先輩達は私の営業デビューが衝撃的であった為か、私に教えてくれるような事はありませんでした。所謂イジメのような物だったと思います。この辺り、私は割と鈍感と言うかノー天気な所があるので、あまり気になりませんでした。しかし、月が終わるごとに行われる会議は、段々とキツく感じて来ました。成績は、新規顧客の獲得の他もたくさんあったのです。しかしろくに教えて貰っていない状態では、やはり満足に獲得するのは厳しいのです。今のような研修プログラムやOJTなどは当時は無く、先輩や上司の後ろ姿を見て覚えろだとか、技を盗めだとか言われていた時代です。その肝心の先輩達が非協力的なものですから何ともしようがなく、さらなる「やってらんね〜」と言う気持ちが強くなっていました。

晴れ晴れした入社時の気持ちはどこへやら、その後はどよ〜んとした精神状態が続きましたf:id:x-japanese:20220805091350j:image