前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

246.私の会社員時代、やってらんない記憶.2

新人時代が過ぎて私は営業部に配属となりました。新人時代でも就業時間よりはかなり早く出社していた私。しかし営業部では更に早い出社になりました。配属になった翌日、早速営業部へ出社すると、そこは既に全員が揃っていて仕事全開モード。扉を開けると全員の視線がこちらに集まり、一瞬固まる私。これはまずいと、さすがに翌日から早く出社するようにしました。しかしキリがない。一本、また一本と電車を早めますが、状況は変わらず。たまらずすぐ上の先輩に何時頃来るのか聞いたところ、ハッキリと言ってくれません。残業の関係で早く来いとは言えないのです。その位自分で考えろって事でした。今で言う「忖度しろ」という事です。じゃあ先輩はと聞いたところ、朝7時との事。え〜😳と思いました。就業時間は朝の8時半です。まずはこれに「やってらんね〜」と思ったものでした。

そして終わりの時間にも同じ事が言えました。私は営業に成り立てだったからかまだそれ程業績をうるさく言われず、言われた仕事が終わるとさっさと帰る準備をしていました。先輩の中にも既に終わっているように思える人もいます。既に時間は6時をとっくに過ぎています。終業時間は確か5時15分だったはず。私も別に就業時間内でピッタリと帰るような人間では無いので、暫くは先輩の仕事とか見てたり、明日の準備等をしてたりしました。しかし一向に帰る気配はありません。一体いつまでいるのだろうと思いながら仕方無しに席に座っていると、始めの頃は上司が帰っていいと言ってくれてましたが、それもすぐに無くなりました。時間はとっくに夜の8時を過ぎています。そして9時近くなり、上司の1人が終わる気配です。すると「今日も疲れたな〜、終わるか〜」と声を掛けます。すると一斉に片付けが始まります。

そしてここでルートが二つに分かれるのです。一つは飲み会、もう一つは麻雀です。麻雀の方が比較的早く声が掛かっていました。これから?と私は一瞬思いましたが、新人の時でも8時近くまで待っていたので、これは本当にびっくりしたものでした。そして先輩達は、どちらかには必ず付き合っていたようでした。私は麻雀は出来なかったので、飲み会には良く連れて行かれました。ここで私が思ったのは、誰も家に電話をしていない事でした。もちろん当時はケータイなどありません。私のようなまだ独身の身なら構わないですが、中には結婚している人もいます。奥さんはこんな状況に慣れているのかと思いました。

そして飲み会は前述の通り、毎日のように行われ、時には二次会、そして月末や決算の時などは三次会という感じで、付き合わされるのでした。そして、もちろん割り勘です。上司や給料がいい先輩達はいいかも知れませんが、我々のような若い世代、または結婚して子供がいる先輩達などは本当に苦しそうでした。実際、カードローンが一杯になってしまって奥さんにバレて家庭争議になってしまった先輩や、それこそ顧客のお金に手を付けてしまうような先輩もいたのです。こうなるとコンプライアンスのような物が必要になってくるのが、理解できます。その位、上の人には逆らえない慣習と言うか雰囲気があったのです。当時から我々の会社はセブンイレブンと社員の間ではふざけて言われていました。

これは自分の会社だけでは無く、日本中の会社が当時はこんな感じだったと思います。時折合う学校の友人に聞いても大体同じような話を聞きました。本当にこの国は、戦後、近代化に猛進して世界に冠たる経済最長を成し遂げたと言われていましたが、中身はと言うと戦前時代や江戸時代と変わらない、滅私奉公の意識が無くなっていないという、旧態依然の組織形態と言った感じでした。もちろんこれには残業代が払われるはずも無く、これにも「やってらんね〜」と思いながら、何とかこの慣習から抜け出せないものか、考えるようになりました。

朝も早よから夜おそくまで、通勤時に太陽を見る事は夏至の頃しかありませんでしたf:id:x-japanese:20220805091500j:image