前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

258.私の会社員時代、やってらんない記憶.13

私の生まれ育った所は、当時の日本の町は皆んなそんな感じでしたが、ゴチャゴチャした町で商店街の真ん中に自宅兼会社があり、この関係で商店街や町会との付き合いが多くあり、親がしているその付き合い等を小さい頃から見ていました。その時に植え付けられた事は色々ありましたが、最も頭に残っているのは「地元で金を落とそう」という概念でした。

そんな感覚が身についている自分。この会社、やたらと地元という言葉が出て来るにも拘らず、私が営業に配属されて暫く経った時に、やってる事は全くそれとはかけ離れている事にかなりの違和感を感じました。一番思ったのは、仕事終わりの飲み会です。行く店というと安い店やチェーン店ばかり。地元のお客さん関連のお店を使えばいいのに、といつも思っていました。昼食については、当時は会社で支給されていたので外で食べる事は無かったのですが、それでも時折はお客さんのお店で食べてあげれば喜ぶだろうに、と思っていました。逆に事務の部署なんかは文房具屋さんとか、手土産では和菓子屋さんとか、よく地元のお店を使っていたので、こちらの方がよほど営業のようだと感じていました。

そんな訳で、私は夕方のパン屋さんとか喫茶店とかはもちろん、昼食についても小遣いに余裕がある時は良くお客さんの所で食べていました。ある日、それについて先輩から注意を受けたのです。ちゃんと会社が用意した食事をしろと言うのです。私は自分の意見として、逆に先輩達こそ、地元の店とかお客さんの所でお金は落とさないのかと言いました。営業たるもの、時にはそう言った所で食べるとか買うとかするべきであると、持論を言ったのです。また飲みに行く時はチェーン店ばかりでは無く、たまには地元のお店を使うべきとか言ってしまったのです。営業室は不穏な空気になりましたが、私は考えを改める事はしなかったのです。

この先輩達は、地元や顧客を大事にするという意味をちゃんと捉えているのかと私は呆れてしまいました。またまたやってらんね〜という気持ちになり、「少しは金使えよ」と、新人の時に思ったケチな連中が多いと、改めて思ったのでした。それは私を含め、後輩や女性社員に対しても同様でした。

私が一番思ったのは、例えば忙しい月末とかトラブルがあって遅くなってしまった時など、7時も過ぎてくるとお腹も空き頭も疲れてくるものです。そんな時、ちょっと甘い物とかお菓子とか、口に入れられる物などを差し入れすれば、かなり後輩の子達からすればやる気が出る物です。またお客さんからいただいた物等はそれこそ皆に配ればいいものを、後生大事に倉庫に閉まって、そのうちに誰かが持ち出してしまうという事が多々ありました。真実は不明ですが、多分、上司や先輩達が持って帰ってしまっていたと思います。本当いセコイ連中の多い会社でした。

セコイと言えば、こんな事もありました。ある時の営業の旅行の時です。当時は営業部で旅行積立を行っており、それが貯まると親睦旅行に行っていました。それに店長を誘うという話となり、店長は実費で参加する事になったのです。私の感覚では、店長たるもの実費プラス寸志を持ってくると思ったのですが、何と実費ピッタリのお金を持って来たのです。その上、旅行の間は人一倍飲む食う、その上威張る。この、1円でも損しない、元を取るというような行動に一同唖然としたのでした。当時はまだ店長には、部下とのコミュニケーション経費というのがあり、それを使える事は皆周知の事実。今までの店長は当然こう言った物を有効に使っている人が多かったのです。しかしこいつは、そんな気持ちのカケラも無いんだろう思ったら、やってらんないを通り越え、悲しい気持ちになったのを覚えています。

こんな話を、飲み会か何かで他店の同僚と話をしていると、他店では更にひどい店長もいたのです。私はこの店長とは仕事をした事は無かったのですが、こいつはこの部下とのコミュニケーション経費を自分の小遣いにしていたそうなのです。これは経理の女性から聞いた話だそうです。

そして信じられない事に、この店長にはこんな話もあったのです。よく顧客にお祝い事や社員旅行等があると、寸志を持って行く事があります。この店長はその申請がやたらと多かったと言うのです。そして驚愕なのは、その殆どを自分のポケットに入れていたと言うのです。なぜ分かったのかと言うと、寸志を持って行くと、特に社員旅行だったりした場合はお土産とかのお返しを頂く事が多いのですが、この店長になってから、それがやたらと少なくなったそうなのです。そしてある日、それを不審に思った経理の女性が営業に確認するように言ったそうなのです。そしてこの事実が判明したのです。確かに寸志には領収書等はありません。こんな泥棒のような店長もいたなんて、私は本当にこの会社が可哀想になったのを覚えています。

こんなやってらんない連中が上層部にたくさんいるから、部下達もこんな具合なんだろうと、この頃になるとやけに納得していたのでした。

こんな商店街を見ると本当に懐かしくなりますf:id:x-japanese:20220805123224j:image