前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

112.私のX-JAPAN奮闘記1

重粒子治療も落ち着いており、その後、私のランニング体験記を書いてみましたが、この際私が熱狂的ファンになったX-JAPANについても奮闘記として語らせていただければと思いまして、続けて連載して行こうと思います。何故奮闘記なのか、これを読むとよく分かると思います。とにかく当時は情報を調べる術が少なく、中年の暇無しアナログ人間が、ファンになったロックバンドをどのようにして追っかけて行ったかという奮闘記です。

私がX-JAPANのファンである事は既に家族親族を初め、会社の人達、お客様に至るまで知っており、今のこの歳になっても未だに大好きなバンドで、ライブがあれば可能な限り参加しており、周りからも「この親父よくやるよ」という顔で見られてるんだろうなと思う事が多々あります。しかし、こんな初老の域に達した私が、この周囲の冷たい視線に負けないで続けて行けるのは、家族という強力な助っ人がいるからなのです。何を隠そう、私の妻を初め、長女次女に至るまで家族全員がX-JAPANのファンなのです。と言うか、家でも車でも私が絶えずこのバンドの音楽を聴いていたので、知らず知らずに耳についてしまい皆もファンになっていたという図式です。家族って大事なんだな〜としみじみ思います。

私は少年期は音楽と言えば何故かクラシック系が好きでした。そして思春期ともなると周りでフォークソングを聴きギターを弾く奴らが増え、自分もそれに負けじと吉田拓郎やら井上陽水やらをギターで弾き語るという路線にのめり込んで行きました。この頃は路線としてはフォークかロックの二つが主流でした。私は当時、ロックはエレキギターで音がうるさいと感じ、自然とフォークを選んだ感じでした。しかし、スポーツでもそうですが、あまりのめり込むタイプでは無く、演奏や歌のレベルも可も無く不可も無く、その後はニューミュージック等が流行り出し、歳と共に私の音楽熱は少しずつ聴く方に偏り演奏熱は冷めて行きました。しかしクラシックは相変わらず好きで、年末などは必ずベートーベンの合唱を聴いて年を越す事をしておりました。

そんな学生時代も終え就職、そして結婚、音楽好きはその後カラオケ好きに変わり、すっかり妻には嫌がれる趣味へと変貌して行きました。そんなある日、ふと耳についた音楽がありました。確か1986年頃、車で聴いていたFM放送からだったと思います。それが当時、まだインディーズ時代のXの「BREAK THE DARKNESS」という曲でした。いきなり始まる早いテンポのサウンド、ドラムの響き、ボーカルのすごい高音、何故か凄く印象に残り、「これ、誰が歌ってるんだ?」というのが、私のX-JAPANとの初めて音楽との出会いでした。その時はバンド名を聞き逃し、曲名も分からず、探すにも探せないという状況でした。インディーズなので当然一般のレコード店にある訳も無く本当にお手上げでした。

そして同じ頃、ビートたけしがやっていたテレビで、「ヘビメタ運動会」というコーナーがあり、これに出ているメンバーの出立ちが、頭の髪を逆立てたり金色の髪の毛にしたり暴走族みたいなブーツを履いていたりととても凄いビジュアルで、音楽好きな私にはそれが絶え難くてたまりませんでした。先日聞いたロックのバンドがいると思えばこんな連中もいるんだと呆れておりました。当然バンド名等にも興味無く、ただ聞き流しておりました。しかし、それもX-JAPANとの初めての映像での出会いでした。

当時はネットなど存在しておらず、自分も既に社会人であったため調べる程の暇も無く、その時はこの二つが同じバンドとは分からずに、方やでバンド名を探す事に一所懸命で、方やで毎週のように出てくるこのヘビメタバンドを蔑むという事をしておりました。

2018年の幕張3daysライブ、オール参戦のはずが、最終日はまさかの台風で無観客ライブに(泣)f:id:x-japanese:20210911164209j:image