前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

87.退職とコロナ

3年に及ぶ治療、最後に大腸検査を終え、私は退職を迎えました。退職を迎える前に前立腺癌の治療と経過観察を一通り終了できました。退職をすると健康保険を初め、色々な物を変更する必要があり、結構まごついたり空白の時間ができてしまったりするので、退職前に治療は一区切り付けておいた方がいいと退職の本を読むと書いてあります。図らずもそのようになった事は本当良かったと思いました。

退職後、私は暫くの間プータローをして、長年の勤続疲労と晩年の闘病の疲れを取ろうと思っていました。しかし退職の年で想定外だったのがコロナ騒ぎでした。計画していた会社や同僚との送別会は軒並み中止。これまた退職後計画していた家族や個人の旅行も何となく自粛ムードの中実行していません。

病院もこのコロナ禍で通院に凄く気を使うようになりましたし、付き添いにも制限をつけているところも多いです。QST病院のいいところであった一時退院も現在は行われていないようです。お見舞いも制限がされているようで、今現在の重粒子治療は三週間缶詰となりお見舞いも無いという、中々辛いものがあるかもしれません。このコロナ、本当に早く終息に向かうよう祈るばかりです。

そして退職した私は暫くプータロー生活をしておりました。ランニングをしたり、ゴルフに行ったり、地ビール巡りの小旅行に行ったり、鉄ちゃんをしに日帰り旅行へ行ったり、X-JAPANのToshlのコンサートを見に行ったり、今まで撮った鉄道写真の整理をしたり、お孫ちゃんの面倒を見たり、その間を縫って経過観察の為病院に行ったりと、数十年振りにのんびりとした生活を楽しんでいました。これも本当に重粒子線治療のお陰、改めて感謝しながらゆったりと過ごしていました。

そして暫くそんな生活をしてしっかりと長年の疲れを落としてから、新たなスタート切るために再就職活動を始めました。幸い以前から声を掛けてくれていた方の会社に就職する事ができ、新たな第二の人生を歩む事が出来ました。

栃木県宇都宮に保存してある私の一番好きな電気機関車f:id:x-japanese:20210406132130j:image