前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

67.初めての後遺症について

この連休に入る前に体調に少しだけ変化がありました。3回目の照射の晩くらいから、尿の出が若干悪くなっているように感じました。翌朝、一時退院の話の他にその話を看護師さんに言うと、照射すると前立腺が腫れるので尿の出が悪くなるとの説明があり、薬を処方してくれる事になりました。一時退院の期間も含めて処方してくれたので、安心して帰宅できました。大の方も聞いてくれましたが、私は小だけの後遺症で済みました。この辺りの対応は早かったです。

他にも腰の両サイドの皮膚の具合も丁寧に見てくれました。この時は腰周辺の症状は全く無かったのですが、第3週に入った辺りから、何となく皮膚の色が茶色く染まっているようになってきました。私は点をイメージしていたのですが、3㎝程の丸いアザのような物が少しずつ分かって来るようになりました。「ここから当てているのか、思った以上に横から照射しているんだな。」と思い、同時に普通の放射線治療だとこのアザ程度じゃ済まないんだろうと思いました。この辺りで初めて、重粒子治療を受けている実感とその凄さを認識したのを覚えています。

アザがひどくなった時は軟膏を処方してくれるとの事でしたが、私は幸いそこまでひどくはならなかったので、特に何の処置もしませんでした。情報の共有化がしっかり行われているのでしょう、医師の回診の時もその事を丁寧に診察してくれました。この辺りも信頼して任せられる感じがしました。

尿の出の悪さは暫く続きましたが、診察や薬のおかげか少しずつ良くなりました。この辺りは私は心配をせず、逆にしっかり照射ができているんだと思っていました。この時期は心配になったり大丈夫と思ったり、心理的に揺れ動いて不安定な時期だったと思います。

そして三連休ゆっくり家で過ごし、妻と一緒に念願のお墓参りもでき、さあ病院に戻ろうと電車に乗って稲毛駅に降りると何だか町が賑やか、そこではお祭りが開催されていました。町の鎮守である稲毛浅間神社の大祭でした。もう病院へ戻らなければならないのに、私達2人は吸い込まれるように神社の方へ向かってしまいました。お酒は飲めなかったけど、妻と久しぶりにお祭りを楽しむ事ができました。

そんな事があり、妻とは稲毛駅でお別れし、今回も弁当を買ってギリギリで病院へ戻った私、身も心もリフレッシュして明日からの治療に備える事ができました。この一時退院は私にとって本当に救いの神だったと思います。照射のストレスに耐えきれなくなりそうな時期に一旦帰宅し気持ちをリセットして、また治療に入れる。それが出来ない今のコロナ禍の治療は、かなりキツそうだなと思ってしまいます。

明日からは入院も中盤から後半に入り第6回目の照射に入ります。三連休中には他にも嬉しいニュースがありました。今週末の金土日と、娘が私の治療の応援で孫を連れて家に来てくれるとの事。これには気合が入りました。ジィジが治療を怖がっているなんてみっともない、かっこいいジィジでい続ける為にも、頑張って照射に立ち向かおうと覚悟を決めました。

箱根仙石原の子供の健康祈願の神社、公時神社に祀られているマサカリf:id:x-japanese:20210328134122j:image