前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

468.私のぶらぶら旅22

穴八幡でのロスタイムで、護国寺に着いたのは既にお昼もとうに過ぎていました。このお寺でお参りした後は、柴又まで行って、久しぶりに、大和屋の天丼でお昼ご飯と思っていたので、お腹はペコペコ😰。先程のコンビニのお菓子で何とか持たせ、あの天丼まで我慢我慢。ここはさすがに初詣の準備中で、参拝の人もまばらでした。f:id:x-japanese:20240111075130j:image

そしてこの護国寺には、私の母が生前からよく通っていた小さなお地蔵様がいるのです。この写真の仁王門をくぐり大きな階段を登り不老門をくぐると、右の方に行ける通路があります。その奥に「一言地蔵」と言うお地蔵様が祀られているのです😊。f:id:x-japanese:20240111075836j:imagef:id:x-japanese:20240111075855j:image

このお地蔵様。一言だけお願いして帰るのだそうです。するとその願いは必ず叶うと、よく私の母が言っていました。若い頃は「そんな事ある訳ない」と思っていた私も、子供を授かると、よくここにお願いしに来る事が多くなりました。子供の事と言うのは親は何とも仕様が無く、ただ祈るしかありません。今回は、長女の安産をお願いして来ました。

そして、ここに来ると、改めて母の想いがしみじみと伝わって来ます。母もここに来て、私と同じように子供達の事をお祈りしていたんだろうと思うと、感傷的な気分になってしまいます😢。そしてお参りが終わり、本堂に行ってみます。この本堂はよく覚えています。私が小さかった頃、祖母が、電車好きだった私を連れて、池袋から都電に乗って(地下鉄はまだ開通していませんでした😅)、よく連れて行ってくれたのです。f:id:x-japanese:20240111085025j:image

祖母も、今の私と同じような事をしていたんだと思うと、何か可笑しくなってしまいます😄。この護国寺、当時はたくさんの鳩がいました。私は祖母に、「鳩ぽっぽのお家に連れてって」とよく言っていたそうです。今は鳩は、糞害で嫌がられている様ですが、この緑色の屋根にたくさんの鳩がいた光景は、鮮明に覚えています。平和の象徴だった鳩が嫌われているなんて、何か今の時代を皮肉っている感じがしてしまいます😔。

そしてガラーンとした境内に少し佇みます。この新年を迎える前のこの光景が結構好きで、昔は年末に、色々なお寺や神社によく行っていたものでした。時間があれば、この本堂内を参拝して帰るのですが、そこまで時間が無かったので、足早に、祖母や母の思い出が詰まっている護国寺を後にしました。

そして今日のお昼を頂きに、柴又へ向かいます。ここからだとどう行けば一番いいのか?。でも、最近はケータイで経路を簡単に検索出来ます。その通りに行けば確かに柴又まで行けました😅。しかし、途中駅で見た時刻表は、一体何に乗ったらいいのか見当も付かず、ネット難民には大変な時代になったと痛切に感じたのでした(この時刻表は業務用だった事に、後で気が付きました😅)。f:id:x-japanese:20240111091654j:image

そして、久しぶりに柴又までやって来ました。ローカル線の象徴の駅構内踏切も健在です👍。f:id:x-japanese:20240111102422j:image

駅を降りると、駅前は随分とお店が立ち並び、狭くなった感覚。そしてそこに以前は無かった、寅さんとさくらの銅像が立っていました。f:id:x-japanese:20240111092105j:image

そして参道へ向かうと、あの頃の光景がそのまま残っていました😀。いや、何年振りだろう(その時の事は168回目に書いてあります)。しかし本当にあの頃の光景そのままでした。f:id:x-japanese:20240111092308j:imagef:id:x-japanese:20240111092723j:image


そしてお目当ての天丼屋さんは長蛇の列😫。仕方なしに先に、参道を巡り帝釈天に向かいました。そこにはかなりの人がいました。そしてかなりの外国人です。参道もそうでしたが、あの頃の正月前のガランとした柴又は、嘘の様に賑やか。観光立国日本を実感したのでした😳。

その後は江戸川に行ってみました。途中、閉店してしまった「川甚」は、新しい建物に変わって営業をしていたようでした。その横を通り過ぎ、土手を登ると懐かしい光景が現れます。この壮大な景色も本当に久しぶり。何とも言いようもない清々しい景色は、やっぱり来て良かったと思ってしまいます😊。f:id:x-japanese:20240111093941j:image
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この日は、年の暮れだと言うのに暖かったので、少しこの土手でこの光景を見ていました。そして、矢切の渡しまで歩きます。そこにも外国人のグループが船を待っていました。こんな所にも外国人が来ているなんて、ちょっと驚き😳。昔、日光に旅行に行った時、東照宮のお土産屋さんのお婆ちゃんが外国人と英語で話していたのを見て、びっくりした事がありましたが、これからは日本中の観光地がこんな感じで、インターナショナルになって行くのだろうと感じてしまいました🤔。f:id:x-japanese:20240111102122j:image

そろそろ天丼屋も空いて来たかなと、江戸川を離れる事にしました。すると何やらランニング大会をやっているようなので、それを見に行ってみました。この暖かさじゃあ走るのも大変だろうなあと思いながら、自分も今年の初め頃はメチャクチャ走ってたなあという懐かしさと、また走りたいという願望が交錯。やはり来年からは、またランニングを復活させたいと無性に思いました💪。そして思わず、「ファイト!」と声援を送ってしまいました。f:id:x-japanese:20240111095043j:image

その後は、時間の関係で寅さん記念館は寄らず、天丼屋に向かいました。もう空腹も限界です😵‍💫。しかしその列はまだ消えていませんでした。f:id:x-japanese:20240111115056j:image

20分位待たされて、やっとの事でありつけた天丼。残念ながら、上は売り切れ😵。並で我慢する事にしました。店内はあの頃のまま。柴又はこれをウリにしているのかと思いました。そしてビールを頼み、至福のひと時。この天丼もあの頃のままの味でした。f:id:x-japanese:20240111095437j:image

至福の昼飲みを味わい、いよいよ柴又を離れます。後は、豆大福の代わりのお土産で草団子を買って、家路を急ぐだけ。既に陽はかなり傾いて来ており、ちょうどいい時間でぶらぶら旅を終える事が出来ました。それにしても今年の冬は本当に暖かい。来年も変わらずいい年でありますようにと、ずっと昔のままの風景の柴又を後にしたのでした😊。