前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

380.私の会社員時代、やってらんない記憶.67

取引が移行されるのは営業としても本当にダメージが残ります。殆どの場合は前回のようなシチュエーションでしたが、これは私がリーダーをやっていて、ある担当者が続けて大口の受注先から取引移行の話があった時の話です。これはレアな事案でしたが、これには、顧客というのはこれ程ナイーブな心を持っているんだと私は衝撃を受けた事案でした。

その担当者は、転勤して来てまだ半年程度でしたが、明るくて根は優しい感じで、営業部のムードメーカー的な役割を担っていました。仕事振りは普通、可もなく不可も無い感じでした。その頃は金融機関の貸し剥がしの時期でもあり、弊社でも信用による販売にはカリカリしていた時期でした。さらにディーゼル車の排ガス規制が導入となり、顧客や弊社に至っても、トラックを主に急激な車両設備の更新が必要となった時期でした。その為、どこの会社も金融機関借入やリース関連の金額が増加し、特に配送を伴うような車両をたくさん所有している会社は一時大変な時期だったのです。

そんな時に、2件の大口顧客から立て続けに取引移行の話が持ち上がったのでした。双方からある日、店長とリーダーである私が呼ばれ、社長と面談する事になったのです。内容は今月で弊社との取引を終了するとの事でした。これには店長を初め私も面を喰らいました。双方の会社も弊社のファンであり、親睦旅行にも良く参加していましたし、良好な関係を築けていたと認識していたのです。今まで価格の事なども揉めた事も無かったですし、苦情はもちろん、目立ったトラブル等も本当に無かった顧客だったのです。

店長がすかさず理由を聞きました。するとどちらの顧客も同じ回答だったのです。「だって、お宅はうちへの販売はもう厳しいのでしょう?」と言うのです。確かに決算書を貰った時に金融機関借入金が増えていて、弊社では最近の稟議の時に要注意と言われた事があったのです。さらに双方ともこのところ販売が回復しており、受注額が増えていたのでした。つい最近も担当者が苦労しながら本部の稟議を通したのも分かっていました。私はすかさず、「そんな事は無いです。先月だってちゃんと対応してるし、これからも対応して行きますよ。」と言いました。

しかし双方の顧客は揃って同じ事を繰り返しました。「長年付き合って来て本当に感謝している。しかしお宅にはこれ以上迷惑を掛けたくない」、「お付き合いは続けていくから」と言うのでした。我々は何を言っているのか分かりませんでした。一旦、この話は考え直して欲しいとの事で、店に戻りました。そしてその担当者を呼び、内容を確認しました。しかし、この担当者は、そんな取引移行を考えさせるような発言や行動はしていないと言っていました。確かに「この所、キツいですよね」程度の事は言ったかもしれないが、そんな事は今の景気の話として当然の話ではないかと言いました。

確かにその程度の話であれば問題無いとは思います。しかし偶然であるのか、この担当者の顧客が立て続けに取引移行を申し出ているのです。そして後日、担当者も交えて再度双方の顧客に訪問しました。そしてこの確認した話を報告しました。しかし双方の顧客とも、でもねえ、というリアクションです。その後も数度店長と訪問して、何とか取引移行は食い止める事が出来たのでした。その時にも「本当に迷惑では無いのか?」と重ねて尋ねられたのでした。これには私はとても違和感を感じました。なぜこんな事をひつこく聞くのだろうと思ったのです。それも迷惑だなんて、これまで聞いた事が無かったキーワードです。

そして、その月は大事を取って私が受注を取りに訪問したのです。この時も先月に増して受注が増えていました。この時も顧客は「迷惑じゃない?」と重ねて聞いてきたのです。私は「なぜ、そんなに迷惑だと感じるのです?。受注を貰って嫌な会社なんか無いでしょう?」と言った所、顧客は安心したように申し込みをしてくれました。そしてその時、経理をやっている社長の奥さんが、ポロッと話をしてくれたのです。「あの担当者さんは良い人なんだけど、発注する度に、え?、また?、という顔をするのよね。こちらの考えすぎかも知れないけど」。続けて「特に何も言わないのだけど、その顔を見てると何だか、迷惑なのかなって気がしちゃってねえ」と言ったのです。

私はこの言葉にとても衝撃を覚えました。確かに担当者はそんな事は言ってないと話してましたが、この「え?、また?」という態度が、顧客の心を凍らせたと思いました。その位、この時期は日本中が疑心暗鬼と言うか、怯えていたのだと思います。これは金融機関の貸し剥がしの影響だと私は思っています。ある日突然、銀行からの貸し出しがストップして、さらに返済を求められる。そして強引に回収されて行く訳ですから、顧客としてもいつそうなるのかハラハラ物です。実際、私の実家はそういった目に合っていたのです。こんな金融機関にも、やってらんね~という気分になりました。

この話は、この後の営業手法に大きな教訓となりました。そして、こう言った事は全店で情報共有すべきと思ったのです。そして私はまず店で、研修という形で度々事例の話をする事を始め、この事案も事例として発表するようにしたのです。その結果が、本部に移動した時に、店の支援をする部署に行かされたと思っています。本当に営業というものは難しいし奥が深い、そして終わりなんか無いんだと思った事案でした。

営業の仕事は終わりが無い真っ直ぐな道のようでしたf:id:x-japanese:20220913100109j:image