前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

538.私の会社員時代、やってらんない記憶115

最後に、「さすが」を書くのはやはりこの会社自体でしょうか。何だかんだ言っても最後まで勤め上げたのは、この会社はいい会社だと思ったからだと思います。色んなやってられない事を書いて来ましたが、その度に尻を捲ってやろうと思うのだけど、意外な所で優しさを受けたり、時には私を応援してくれたり、時間差があっても意見を取り入れてくれたり、3度の病の長期離脱にも快く対応してくれたり、無理な顧客の案件を通してくれたりと、結局はいい会社だったのかも知れないと思っているのです。

また、学歴に意外におおらかだった事にも、私にとっては、「さすが」でした。私は大した大学を出た訳では無いので、入社当初は大学の友人とか他の知人からは、将来の出世は難しいのでは無いかと言われたモノでした。しかしこの入社した頃の会社は,結構実力主義で人事が行われており、高校卒の店長や役員も結構いたのです。私も当初は苦労しましたが、その後は比較的順調に出世はでき、バカ店長やコンプラ店長との闘争をしなければ、さらに上を目指せたと今でも思っています😅。

また、先輩や上司に意見や反論をしても、意外と受け入れてくれたのも、さすがと思っています。今思い出しても、結構失礼な事を言っているし行動して来ていると思いますが、普通なら問題になるような事でも、そう言った事には意外にスルーだったりもしました。最終的には、こんな自分を退職まで雇ってくれていた事で、その懐の深さという意味で「さすが」だったのかも知れません。いや、それまではそんな人間は入社していなかったのかも知れませんが😵。

また、財務内容もこの業界の中ではトップクラスでした。私が入社した頃はそうでも無かったのですが、これは536回目のブログの社長のお陰だと思っています。バブル期にしっかりとした経営を行っていた事により、所謂、倒産を食らったり、回収不能を多く起こす事は無く、当時流行していた財テクをしていた訳でも無いので、投資で大損を被った事も無く、財務内容を傷める事がありませんでした。このバブル期を過ぎると,弊社は一気に健全な会社に躍進して、業界でも一目置かれるようになったのです。

また、給与の水準も同業と比較しても遜色無く、「さすが」と思っていました。利益が大きく出た年度なんかは、決算賞与が出た事もありました。退職金も大企業並みとは言いませんが、そこそこありましたし、また企業年金もかなりしっかりした設計をされたもので、老後の不安もそれ程無く過ごせると思います。逆に、これだけの給与や退職金、企業年金を準備している事を、現役の時になぜ従業員にちゃんと説明しないのだろうと、退職の時に思ったものでした。結構,先輩や後輩達等は、給料が安いとか、人使いが荒いとか、文句を言っている人が多かったのです。こういった金銭面の説明をしっかり行えば、社員ももっと働いただろうにと思います。

またこの会社の顧客も本当にいい人達が多く、どちらかというとこの顧客達の方に、「さすが」と言いたい位です。257回目のブログに少し書いてありますが、いい人たちが本当にたくさんいました。私が顧客から受けた事は本当に多く、知識、社会常識、仕事のノウハウ、情報、さらに支援,応援と、このブログに書ききれない位です。

会社もまずまず、それに顧客はいいと来れば、それでは何が悪かったのでしょうか。それはハング社員が少しずつ増えて行った事だと私は思っています。特にバブル期の後位から、少しずつ増えて行ったと、私は感じでいるのです。その傾向は社長が変わってから、更に顕著になったように感じます。バブルを乗り越え優良企業となった事で、就職の人気も少しずつ上がって行きました。新入社員にも優等生が増えて来て、昔ながらの野武士的な人間は減って行き、スマートな人間が増えて来ました。派閥や学閥が少しずつ増え始めて来たのもこの頃からでした。

何か少しづつ、私の好きだった会社が変化して行くのを感じでいました。派閥や学閥が何と無く分かるようになり、社員達もそれに乗ろうと動いているのを感じるようになりました。そして、バカ店長やコンプラ店長が出て来たのです。こんな連中が店長になる事は本当に信じられませんでした。そして、こんな連中を店のトップにしたら大変な事になると、色んな意見や提言をして来たのも、この会社を良くしたいと思っていたからこそでした。

しかし、これも時代の流れだったのでしょう。私は入社当初から所謂1匹狼的な人間でしたから、こういった派閥には入りたくありませんでした。また私は学閥は問題外。会社内を見渡すと、私のような人間は少なくなっていました。私が凄いと思っていた先輩や後輩も会社を去ってしまい、気がつくと周りはイエスマンのような社員ばかりが目立つようになっていました。所謂、大企業病だと思います。

いい会社になったのだから大丈夫、潰れる訳がない、顧客だって付いて来てくれる、と言った根拠の無い自信が会社を蝕んでいたのだと思います。私が退職した頃には、本当にイエスマンやハング社員と思しき人間が多かったように感じました。そして、このブログを書いている今、ある事が分かったのです。それは私がなぜこんなにも、色々な人達と戦って来たのかと言う事です。それは、実はこの会社を何とかして守りたかったからなのでは無かったか、と言う事です。

「茹カエル」と言う言葉をご存知でしょうか?。私は営業部にいた時には、部下達には必ずこの言葉を言っていました。この話は、カエルを熱湯にいきなり入れると熱くてすぐに逃げてしまいますが、しかし、最初は水で、そこにカエルを入れて段々と熱して行くと、カエルはそれには気が付かずそのまま茹だって死んでしまうと言う話なのです。人間もいきなりの変化には気が付きますが、少しずつの変化には中々気が付かず、気付いた時にはもう手遅れという時に使う言葉です。正に私の会社の人間達は、この「茹でカエル」の状態だと思っていたのです。そして私は、このままではこの会社はダメになってしまうと、ひたすら孤軍奮闘していたと思います。

今はもう、この会社とは全く繋がりが無い状態です。付き合っているのは退職した数人程。例のデキる後輩もその1人です。もうこの会社がどうなのかは全く興味はありませんが、中にはとても将来を危惧している人もいます。また最近は社長も交代して、若返りを図ったそうです。この社長は私もよく知っていた後輩ですが、とても人間性はいい人なので、ぜひ頑張って欲しいと思っています。

そして長い間書いてきた、この「やってらんない」シリーズはいよいよ終了。この後の総括編で締めて、また色々と思い出す事があったら、書こうと思っています。しかし、今度はもっと為になるようなシリーズを、出来れば書きたいと思っています😅。

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