前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

525.ネガフィルムの懐かしい記憶、7

当初、駅撮りをしなかった理由、と言うか、池袋駅に近づかなかった理由、それは恐らく、池袋駅近辺がそれ程物騒だったからだと思います。とにかく当時のこの界隈は、戦後の闇市の影響が色濃く残っており、私の小さい頃はなるべく駅の方に行くなと言われていました(中学生にもなると先生が、平日の夕方や休みには、駅に向かう横断歩道に立っており検問みたいな事をしていました。そこはまるで江戸時代の関所のようで、友人同士だけでは中々突破する事が出来ない位だったのです😳。先生も大変だったんですね😅)。

その関所を通過して、我々はよく南口(今みたいな地下では無く、東武百貨店の2階に通じる階段があり、その右側に小さな改札があり、跨線橋で山手線や西武線に繋がっていました)を利用していましたが、急がない時なんかはその関所が面倒で、わざわざ目白駅西武線椎名町駅を利用する事も多かったのです😵。

池袋南口辺りには学芸大学附属小学校の廃校があり、そのレンガ造りの建物のガラスが割れていたりしてとても怖かった思い出があります。その周りも如何わしいホテルや簡易宿泊所があり、また少し北口の方に行くと、ロサ会館を中心とした繁華街が続き、怪しい連中がたくさん歩いていました。またそこから川越街道の方に行くと、そこはもうカオスの世界と言うか、昔の赤線さながらの料亭や旅荘、はたまた簡易宿泊所等が所狭しと立ち並んでいて、とてもとても一般人が歩けるような場所では無かったのです。

目白方面の線路沿いには、当時は東武東上線の引っ込み線があり、その前には芝浦工大高校がありました。また、今はホテルメトロポリタンが建っている所には鉄道の官舎がありました(この官舎にも友人が結構いたなあ)。この辺りは、まだ比較的環境は良さそうでしたが、それでも道路を少し入ると怪しい建物が立ち並んでいました。実際私の友人が、池袋駅近くの建物に住んでいたのですが、そこは後で分かるのですが、ソープランドの最上階でした。友人はそこの経営者の息子だったのです。当時はその建物の看板には、「トルコ」と書いてあったのを覚えています。今もトルコと言う国がありますが、私は友人の家は、この国に関連する仕事をやっているのだと思っていたのでした😵。

今考えると、その建物には大人の女性がいつも数人おり、我々の遊び相手になってくれていました。お菓子なんかもよく貰っていたのです。 確かに、屋上にはタオルがいつもたくさん干してあり、不思議な光景でした。とても普通の商売をしていた感じでは無く、いつも違和感を感じていたのを覚えています。小学生の時にソープ嬢と遊んでいたなんて(純粋にです😅)本当にびっくりです。

また中学生になると学区範囲が広がり、住まいがそのカオスな場所辺りの友人なんかもいました。そして、そこの料亭の子供だったり、旅荘の子供だったりがたくさんいたのです。そういった友人は中居さんのような女性の中で育つ事が多かったようで(当時は商売をしている家は大変でした。我が家も祖母が子供の面倒を見ていました😵)、どうも「おねえ言葉」を発する奴らが結構いて、中々カルチャーショックを受けたりしていました。その他、ボクサーの子供だったり、はたまた地主の子だったりと、池袋界隈育ちは本当にとんでもない連中の集まりだったと思います。

こんな池袋界隈の話が出たついでに、面白いエピソードを二つ書こうと思います。一つは私の母親です。私が中学生3年位の時、恐らくPTAか何かで、クラスの家庭に配り物があったのです。この年齢になってくると、さすがに池袋のヤバい環境の事は理解し始めます。そして級友がそのカオスの地域に数人住んでいて、その家庭に配り物があったのです。その時、私が手伝いをさせられたのです。必要な物品を持って母の後を付いて行きました。すると見るからに連れ込み宿風の建物に入って行くのです。そこがクラスメイトの家でした。私は母を呼び止めました。

このシチュエーション、周囲は親子と見てくれるとは思えず、私はそこから離れました。すると母が中から出て来て、「何してんの?早くいらっしゃい!」と言うのです。すると周囲の人達の好奇な目がこちらに降り注ぎます。私は恥ずかしくなり急いでその建物に入って行ったのです。そして出る時は、恐る恐る外を見て、母を置いて走って行ったのを覚えています。その後で母に、「恥ずかしかったじゃないか!」といった話をしたら、「馬鹿みたい」の一言。母は池袋という街で、逞しく生きて来たんだと、その時思ったのでした😵。

もう一つは友人の話。中学生にもなると、ませている友人なんかは彼女とか作る奴もいました。そしてある日友人が、今日彼女を家に招待すると言っていたのです。我々もお年頃です。その話にかなり盛り上がり、自分も早く彼女が欲しいモノだなあなんて思ったりしました。そして翌日です。朝からその話の続きを聞きに、その友人のところに集まりました。するとその友人、何とも言いようの無い顔をしていました。その顔を見て、これは失敗だったと予想出来ました。

友人は理由を話し始めました。昨日は学校の帰り道に待ち合わせ、家に向かったそうなのです。既に付き合って数ヶ月です。話も弾み、ルンルンで(言い方が古いか😅)歩いていたそうです。しかし、友人の家はまさかの例のカオス地帯です。段々と周囲が怪しい雰囲気になって行くのを彼女は感じたのでしょう。しかし友人の家はこのカオス地帯を通り過ぎて行かないと辿り着けないのです。彼女は急に立ち止まり、帰ると言ったとの事です。友人は、自分の家はこの先なんだと説明をしたのですが、彼女は「私を何だと思ってるの」と言って怒り出したそうなのです。そして結果、フラれてしまったそうなのです😩。池袋界隈に住んでいる我々には、それが痛い程よく分かりました。彼女の家は、山手線の目白から西武線椎名町辺りの閑静な住宅街でした。同じ池袋の地名が入っているのですが、これが池袋という街だったのです。

話が脱線しましたが、話を戻します。その後は中学生になり、電車賃が大人料金となったので、またまた自転車で鉄チャン活動をするようになったのです。この頃になると、自転車の性能も良くなり、それを買ってもらった事で(我が家は兄弟で共用でした😵)行動範囲も格段に上がっていました。また随分と体力も付いて来て、また危険回避能力も上がって来たようで、それほど怖い思いをする事は無くなりました。そして電車、都電、徒歩、自転車と、色々なツールで鉄チャンをやって行くのでした。f:id:x-japanese:20240312110500j:image

池袋駅も随分と変わりました。この写真は、後年、一眼レフのカメラで撮影したモノです。北口の池袋大橋からで、この辺りも夜になると怖かった〜😵。今は湘南新宿ライン埼京線が立体交差している場所です。