前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

522.ネガフィルムの懐かしい記憶、4

今回の写真は6年生位かな?。人と自転車が写っています。これは私と一緒に鉄チャンをやっていた友人ですが、この友人は、小さい頃から見た目も態度も結構大人びた奴で、小学生の高学年にもなると、よく中学生に間違えられていました😅。なので貨物を見に行く時や、写真を撮りに電車に乗る時等には、改札を通る度によく呼び止められていて、「中学生じゃないの?子供料金じゃあダメだよ」と言われていました(当時は改札があって、その中に駅員がいて切符を切っていたのです。これもアナログだったなあ。216回目のブログをご覧下さい)。その都度言い訳するのが面倒になり、それから自転車で写真を撮りに行く事が増えて行きました(この友人の自転車が格好良かったなあ😊)。また、交通費の節約の理由もありました。f:id:x-japanese:20240306130416j:image

住まいのある池袋界隈からこの田端や尾久辺りまで、自転車で写真を撮りに出掛けるのは結構な冒険でした。池袋界隈とは言え、我々の住居は山手線の外側の、商店と住宅の混在している場所だったので、まずは繁華街である池袋の街を越えるのが結構大変だったのです。当時はバリアフリーと言う考えは全く無く、歩道の切れ目にはスロープも無し。また歩道では、歩行者と自転車は当然の如く分離はされておらず、歩く人を避けながら走って行ったのです。また大通りの交差点では歩道橋が多く、鉄道を跨ぐ陸橋や地下道等では階段、また大きな段差もあったりで、仕方なく道路を走る事もあり、大きなトラックと並んで走ったりなんかするとかなりの恐怖を覚えたモノでした。

そして、まずは王子方面を目指すので、明治通りを真っ直ぐに進むのです。そして、結構なスピードで走るので、当時は道路には結構ゴミや石ころ等が転がっており、それに乗り上げたりして転んだ事もよくありました。よく交通事故に遭わなかったと思います。そして正面に、飛鳥山公園や都電が見えるとホッとしたモノでした(今この辺りは随分と景色が変わってしまっています😳)。そこからぐるっと左回りで王子駅を通り過ぎる感じで、田端方面に向かって行きました。

目的地は、電車でよく行っていた、貨物の田端操車場と、旅客の尾久客車区の間にある道でした。このハーフカメラのネガを見てると、我々は最初は貨物関連ばかりを追いかけていたのだとよく分かります。この友人が半袖を着ているので、おそらく夏休みでやって来たのでしょう。当時は今のような猛暑では無く、ピーカンの真昼間でない限り、それ程大変ではありませんでした。大体お昼位にやって来て、夕方頃帰っていたのを思い出します。

目的地のこの道は、両サイドに貨物や列車が見られ、鉄チャンにとってはパラダイス的な道でした。交通量もそれ程多く無く、同じような様々な年代の鉄チャン達がタムロしていました。またこの道路には田端と尾久を結ぶ踏切が2ヶ所あり、時折そこを機関車が横切るのです。その時はすぐ近くに機関車を見る事が出来、その大きさにとても興奮していたのを覚えています(この写真の下の方に少し写ってます)。f:id:x-japanese:20240306132534j:image

それ以外でもかなり近くに機関車が見られる為、じっくりと写真を撮れたのも、ここによく来る理由でした。ここに写っているのは田端機関区で、EF15、EF58、EF65の一般型とPF型、EF80、DD13等です。当時は全ての機関車が格好良く見えて、見る機関車は何でも撮影していました(そう言えばこの「高二」という札、何だろうと思って調べたり聞いたりしたけど、暫くわからなかったなあ😅。これは高崎第二機関区所属という銘板です。今はネットで簡単に調べられて、本当に便利ですね)。f:id:x-japanese:20240306140018j:image

そしてこの写真を見てると思い出す事があります。ディーゼル機関車の写真の下の方や、もう一枚の写真を見て下さい。川が見えます。
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当時はこういった川が至る所に流れていたのです。と言うか、あったと言った方がいいかも知れません。流れている感じは無く澱んだ感じで、下手をすると匂ったりする事も多々あったのです。特にこう言った住宅地や繁華街とは関係の無さそうな場所には、当時はまだまだありました。

今ではこう言った川は「暗渠」として埋め立てられて、その上は遊歩道とか公園になっている場所が多いですが、当時はそのまま川になっている所が多数ありました。そしてそこにはたくさんのゴミ、今で言う粗大ゴミが捨てられていたのです。そして当時のマナーなんかは決していい方では無く、この辺に遊びに来ている鉄チャンなんかも、よくパンやお菓子の包みや、ジュースの空き缶や空き瓶なんかもポイ捨てしていたのです。

また、フェンス等もそれ程しっかりしている訳ではないので、さすがにこの川に人が落ちる事はありませんでしたが、結構私物を落としたりする事はあったので、その都度大騒ぎになっているのをよく見ました。拾うのも気が引ける位に汚かったのです。当時はそれ位、悪い環境だったのです。

今、Googleマップでそこを見ると、川も無くなり道路も整備されて綺麗になっています。そして、随分と種類が変わっていますが、まだ機関車もしっかり見れる場所があるのに驚きました。その奥には新幹線も見えたりします。まだ踏切も健在のようです。これだけしっかり昔のままで綺麗になっているのなら、いつかお孫ちゃんと鉄チャン旅にでも来たいなあと思いました(その後、その思いは叶い、469回目や511回目のような楽しい鉄チャン旅が出来ました😊)。昔の川のままだったら、危なくてお孫ちゃんなんか連れて来れません。日本は本当に綺麗になったんだなあと、この写真を見ていてそう思いました。今、外国人がたくさん日本に来ていますが、正にこんな感想を抱いているのだと思います。