前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

282.私の会社員時代、やってらんない記憶.32

このシリーズ、まだまだ長期に渡り続く予定ですので、時折違うテーマのブログが入ったりしますが、ご理解の程よろしくお願いします🙇‍♂️。このシリーズの困った連中はまだまだたくさんいたのですが、キリがないので、あと3人程書こうと思います。

私の営業人生の中で、前回と同じようにもう1人、引導を渡した子がいました。この時は私が営業のリーダーをやっていた時の部下の子でした。この子もいい家の子で頭も良く毛並みはいい子でしたが、やはり嘘を付くと言うか、トラブルから逃げてしまうのです。逃げても解決しないと思うのですが、難しい事が起きると何故かそのまま放ってしまうのです。これは私は実感として分かりました。私の新人営業の時はイジメにあっていたので、相談自体ができずにタイムアップとなり、良く上司に怒られていたのです。私はこんな思いは部下に絶対にさせまいと思い、こんな会社の中でも風通しのいい職場にしようと孤軍奮闘していたのです。そんな中でのこの担当者の行動は私にとっては結構ショックでした。こんなに努力して頑張っているのに、やってらんね〜とも思いました。確かに、この担当は転勤して来た子なのですが、そういった問題がある子である事は事前に分かっていました。だからこそ私は風通しの良さを一層注意していたのでした。

そしてある日、顧客から苦情が入りました。またその子でした。帰って来るのを待って別室に呼び出すと、既に固まっている様子です。内容を確認すると、1ヶ月近くの前に受けた案件がそのままになっているようでした。こう言った事は少なくとも私の部下の間、まだ半年も経っていないのに5回はありました。これは多すぎです。この時に、前回の部下の事がよぎりました。あれ以来、その人の将来の事をとやかく言うのは控えていました。しかし、今は営業のリーダーとして責任もあります。散々悩んだ挙げ句この子には言うべきと思い、ある面接の時にその話をしました。

何か相談しにくい環境なのか、プレッシャーとか感じているのか色々聞きましたが、固まったままでハッキリとした受け答えがありませんでした。前回の子のイメージがさらに浮かんで来ました。この子は、このままではそのうちに大事件を起こす気がして、その後店長にその子の今後について相談しました。しかし店長からは特に指示は無し。その後も結構大変でしたが、翌年私は転勤になりました。そして、その最後の時にその子を呼び、アドバイスと言う形で話しました。君は営業では無く違う世界で頑張った方がいい。頭はいいんだからとにかく何か見つけて勉強してみろ、と。そしてそれっきり合うことは無かったのです。

しかしある時、私が本部にいて退職間際の頃に、その子が異動して来たのです。それまで営業で頑張っていたようですが、いい評判は聞いていませんでした。するとある日食堂でその子が私に近づいて来たのです。何かと思いましたが、久しぶり、と挨拶をしました。すると、私のお陰でこの部署に来れたとお礼を言われたのです。その子はあれから、自分の事を見つめ直し、この会社で興味ある事を見つけ、それに向かって勉強をしていたようだったのです。そして取るのが大変な資格を取得出来たとの事でした。そして念願の部署に転勤出来たとの事でした。これには私も、おめでとうと賞賛の言葉を贈りました。その顔は本当に嬉しそうで、あの時とは考えられない程、自信を持った表情だったのです。これにはあの時アドバイスして良かったと本当に思いました。

この時に同時に、若い頃、同じようにアドバイスをして辞めさせてしまった子に対して感じていた呪縛から逃れられたように感じました。人へのアドバイスというのは中々難しい問題ですが、最近はこんな事も少なくなって来ているのでしょう。その子を心配するからこそ、敢えて厳しい事を言うのは、言う方も勇気と責任が必要です。今の時代は、それがパワハラと言われる可能性もあります。その子達も、いい子だったからこそ私の言う事を真剣に受け止めて、方向を決めたのだと思います。

あのアニメの子はどうしているかな、と思い、皆、頑張れと思ったのでした。

人生のびのびとスッキリとした気持ちで生きていきたいものですf:id:x-japanese:20220811091411j:image