前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

558.私の愛車遍歴の思い出、27

私の愛車遍歴の後半に行く前に、ここで少し、私が若かった当時の車事情を書こうと思います。その中でも、車と言うのは、本当に当時の男性達にとってはステイタスだったんだと思います。それ故に、車に対しては随分と見栄っ張りが多くいたように思います😅。

まずはエアコンです。今では夏の必需品であるカーエアコン。バブル時代の後になるとさすがにエアコンの無い車は見掛けなくなりましたが、その少し前まではトラックを初め乗用車も結構エアコンの無い車はありました。エアコンがオプションと言う時期も長くありました。ディーラーでつけると高いので、わざわざエアコン無しで買って、後で業者に行って付けていた人達も結構いたのです。〇〇カークーラーなんて言うエアコンを後付けする会社も、私の会社の近くにありました。

そして、巷にエアコン車が増え始めて来ると、見栄を張る連中も結構出て来たのです。そうです。エアコンも付いて無いのに、暑い中、窓を閉めて走るのです😳。これは今だったら完璧に熱中症になると思います。この頃はまだそれ程、酷暑のような気候では無かったので、そのような行為が出来たんだと思います。私の大学の友達なんかも、しがない学生がたくさんいました。車は持ってるけどエアコンなんか無く、付けられる訳も無い。しかし窓を開けて走っていると、エアコンが無いと思われるのが癪だと、頑張って窓を閉めるのです。私はその根性に今なら「天晴れ」をあげたい位ですが、その頃は、何でそこまで見栄を張るのか不思議で仕方ありませんでした。

私はよく運転をしていましたが、カリーナや実家のトラックはエアコンは付いてませんでした。また学生のアルバイトの時のトラックはもちろん、会社に入ってからも、暫くは軽自動車を乗っていた時期がありましたが、エアコンなどありませんでした。しかし窓を開けていれば、それ程気にはなりませんでした。渋滞とかすると結構キツいモノがありましたが、本当にその頃の暑さは今程では無く、窓全開で十分耐えられたのです。そして、時折、信号待ちで止まっていると、隣に窓が閉まった車が来たりします。そんな時は「エアコン車か〜、いいなあ〜」と思ったモノでした。しかしそんな中に時折、よく見てみると運転席の中で汗びっしょりになっている人がいるのです。すると、「あ〜、この人も見栄を張っているんだな〜」と思うのです。日本人は見栄っ張りなんだと、この頃思うようになったと思います😲。

またそれと同じような事に、パワーウィンドウがあります。当時の車のウィンドウは、取っ手をクルクル回す感じで開け閉めしていました。それが電動となった事でとても便利になり、スイッチで操作してると、確かに優越感みたいなモノを感じるのは分かりました。既にバブル前からオプションで結構付けられる車が多く、兄の2代目ローレルはパワーウィンドウが付いていました。これもはやり面白い事がありました。社会人になって暫くした時、会社の人がゴルフの時に1人で車でやって来た事があったのです。普通、ゴルフと言うのは乗り合いをして交通費を浮かせるモノですが、この人は1人でやって来ました😳。

現地集合で、我々がゴルフ場に着いて他の連中とタムロしてると、その人がやって来ました。そして我々の前に車を付けたのです。すると窓が自動で開きました。そして「おまたせ」とか言いながら運転席から手を振ったのです。その後はゴルバッグを下ろし、また窓を閉め、駐車場へ車を置きに行ったのでした。私は「先輩の車、パワーウィンドウなんだ!」と思った瞬間、ある先輩が、「相変わらずあんな事をやってる。運転席で右腕を出して手を振って、左手で見えないように一生懸命窓を開けてるんだ。しようがねえな〜!」と、言うのです😵。これにも驚きを隠せませんでした。だから1人で来てるのかと思いました。そして、そんなにも見栄張らなくてもいいのにと思ったモノでした。

こう言った見栄っ張りさんは他にもたくさんいました。またそれとは違う人種で、カッコつけたがり屋さんもたくさんいました。それはどう言う事かと言うと、私はあまり見た事が無かったですが、バブルの頃になって来ると、車で女の子をナンパするような輩が増えて来ました。そして、その頃のモテる要素は、スキーやサーフィンでした。「私をスキーに連れてって」と言う映画が大ヒットした頃でしょうか。そして、これを真似て、カッコだけスキーヤーとかサーファーという輩がいたようなのです😮‍💨。

確かに車の屋根にキャリアを取り付けて、そこにスキー板とかを積むと中々格好良くなります。私はスキーはやりましたが、当初は雪道が怖くて車では行きませんでしたが(当時のスキーは電車やバスで行くのがポピュラーだったのです☝️。189回目のブログにその頃の事が書いてあります😊)、そのうちにいいスノーチェーンが出来てきて(バイアスロンというチェーンは本当に無敵な感じでしたねぇ😊)、これがFFの車に良くフィットしたので、結婚して生活が落ち着いて来た頃からは、妻とか子供達と、また会社の連中とも日帰り弾丸スキーとかよく行っていました。

そして何と、この映画が流行り出した頃に、スキーをしないのにキャリアを付けてスキーを積んでいた輩が出て来たと言うのです。これはサーフィンの方が多かったようです。私はサーフィンはしませんでしたが、スキーよりサーフィンの方が道具は大きく、その真似をするだけでも結構な対応が必要だったと思います。そして、サーフィンの場合は中々大きさもあるので、ビス等でガッチリ止める必要があったようで、一発で違う事が分かったそうなのです。そんな人達を巷では「丘サーファー」と呼んでいたのです😵。やはりナンパは夏の方がし易いのでしょうか。私は、「そこまでしてカッコ付けたいのか」と思ったモノでしたが、まあこういった男性達の滑稽な活動が、経済を回すのかも知れませんね。

丘サーファー達の御用達の車と言われたファミリア。こんなイメージの車になってしまったので、うちの妻からは不評だったのでした😅(500回目のブログをご覧下さい)。f:id:x-japanese:20230805120848j:image