前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

814.ネガフィルムの懐かしい記憶、111

そして渋川駅に到着。すると偶然、駅構内の貨物線にEF12が止まっていたのです😄。確かこの日は休日なので運休のはずでした。これには超ラッキーといった感じで、じっくりと撮影しました。これは16号機。この時は、くだらない事ですが、さっき見たEF16の12号機とナンバープレートの数字が反対だなと思ったのを覚えています😅。

下の写真は、4番線に停車している165系とEF12を並べて撮影した物です(この頃は吾妻線用に1番線があったようです)。これは急行と書いてありますが、何だろう。当時はたくさんの列車が走っていたので、この3番線は多く使われていたようです。確か、急行「ゆけむり」と「草津」は上野から渋川まで併結して走り、ここで切り離しや連結を行っていたと記憶しています。今では、SLみなかみ号の専用のホームのようになっていますね☝️。そういえば昔は、上野から渋川行きの急行「伊香保」なんて列車もあったなあ🤔。

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当時の渋川駅は結構貨物の取り扱いも多かったようでした。母の親戚に、この界隈で商売をやっていた人がいて、駅に隣接する大きな工場が取引先だったのを聞いた事がありました。今でも、渋川駅を出た所にある跨線橋を渡り東側の方へ行くと、貨物線の線路の跡が結構見えると思います。昔の貨物ヤードは大きな駐車場になっていて、昔を知っている私は本当に寂しい限りです😢。

そしてこのEF12は以前にも書きましたが、EF57の姉妹機です😊。EF57は旅客用ですがこちらは貨物用のカマです。その特徴はこのサイドビューを見ると分かります。このエアフィルターの形状が同じなのです👍。それは、遠くから見ると、EF10の後期型のように見えますが、そちらのエアフィルターはもう少し粗いと言うか太いと言うか、近づいて見ると明らかに違って見えます。分かりやすいように写真を並べておきます。すぐ下がEF12、その下がEF57です。その下がEF10です。EF10のエアフィルターの縦棒のような物が、少し太いのがよく分かると思います☝️。
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思えばこの時は、EF57が見られなくなって約1年です。その面影が偲べるこのEF12はとても懐かしく、この時はかなり長い間、ホームから見ていたのを覚えています😊。見れば見るほど姉妹機なのがよく分かりました。真横から撮影した時に見たエアフィルターがEF57の雰囲気が似ていて、本当に再会出来たような錯覚に陥った感じでした。

それ程気になるカマだったら、もっと撮影に来ればよかったのにと思いますが、それはやはり旅費が関係していました。EF12は総勢が17両。この辺りもEF57の15両と似ています。この頃のEF12は高崎第二機関区に所属しており、この時点で既に残りは6両程度だったと記憶しています🤔。両毛線と上越線と吾妻線の貨物列車の運用を担っていました。しかし両毛線には既にEF15が進出して来ており、撮影の確率は低かったのです。778回目のブログでもその様子が分かります。また、上越線を経由した吾妻線の貨物列車は確か平日に1往復、せいぜい臨時貨物が走って2往復です。休日運休は学生にとっては致命的で、中々この状態では旅費を掛けてまでは来れません😣。

EF12は、この1年後にもう一回撮影に来ましたが、今考えると、この吾妻線には旧型電車も走っていたのだし、もっと撮影に行っておけば良かったと後悔しています。しかし今調べると、この2か月後の1978年3月には、この地区の旧型電車は廃止されているのが分かりました。恐らくこの情報を知っていたのでしょう。注目するのが遅かったか😵。しかしこれまでのネガの記録を見ても、他にも、撮影したい様々な列車や機関車が多過ぎて、本当に来れなかったのだと思いました。その中でも3度、EF12を撮影出来たのは、頑張った方だったのかも知れません✌️。

それにしても、SLが全廃された1975年辺りから、国鉄は「次は旧型機関車や旧型電車だ」とばかりに、矢継ぎ早に新性能化を急いでいたと思います。その廃止のスピードに私の財力が追いつかず、また学生であってもそれ程の暇もさすがに無く、他にももっと撮影したい被写体があったので行けなかった、と言うのが当時の現状だったのだと思います😔。

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思っても見なかった EF12を見れて、その後は大人しく帰る予定でした。しかしそれを見ていると、その運用範囲である、吾妻線の小野上という駅まで行ってみたくなったのです☝️。明日は学校だったと思います。さすがにサボる事は金銭的にも考えていませんでした。帰りはもちろん普通列車です。帰りが遅くなるのは厳しかったですが、友人も同じ思いでした。そう言えばこの友人も、時折、一緒にEF57を撮影しに行っていた仲間でもありました😊。

吾妻線は地方のローカル線で、当時でも本数が少なく、行く前に時間を調べると、小野上まで行ってしまうと帰りの電車が結構キツくなるのが分かりました。それでも吾妻線を待っていると、やって来たのは、これまた渋い旧型電車でした。これを見て迷わず乗車。吊り掛け音を楽しみながら小野上駅まで行ったのでした😄。この旧型電車のビジュアルも痺れるモノがあります。

長野原駅は、今は後ろに草津口がくっついて、「長野原草津口」という駅名に変わっています。確かに有名な草津温泉の玄関口だった長野原駅。当時は草津温泉に行くのにどこで乗り換えるのか分からないという話をよく聞きました。当時は特急「白根」と急行「草津」が走っていましたが、今はこちらも高速バスに軍配が上がっている感じです。

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駅に着くと既に夕方です。旧型電車を見送って辺りを見渡すと、そこは切り立った岩山が迫り、その下には砂利がうず高く積まれていました。EF12には、この砂利を運搬する為の運用があったのでした。しかしここで待っていても、この日はEF12が来る事はありません。旧型電車も暫くやって来ません。仕方なく我々は駅を出て近くに流れている吾妻川まで行ってみました☝️。

河原に立つと結構風が強く急に寒さを感じ、夕日が沈む所でした。この光景に私はとても暗い気分になったのを覚えています。所謂、「憂い」のような感じです。この写真を見て思い出しました。この年はいよいよ高校3年になり、自分の将来や方向性を決める時期になって来たのです😣。反面、私生活では恋愛は上手く行かず少し自暴自棄的になり、友人達とは「人生とは何だ」とか「生きるって何だ」とか哲学的な討論をするようになっており、そして小説などもこの頃からよく読むようになっていました。それは友人も同様でした。2人とも青春の中を彷徨っていた頃でした。本当に青かったなあと思います😵‍💫。f:id:x-japanese:20250915193912j:image

そして日が沈み辺りは暗くなって来ました。暗い気分のまま電車に揺られ、東京まで帰って来た記憶があります。しかし鉄チャン熱は相変わらずで、この後も暇とお金があれば、撮影に出掛けていたのでした😵。

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