前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

373.私のまた行きたい温泉30、おまけ

社員旅行やお客様旅行では本当にたくさんの温泉に行きました。その殆どが一泊だったので、関東近隣が多かったのですが、それでも時には、特にバブルの頃のように派手な時代の頃のお客様旅行は、二泊や三泊の旅行もありました。その時には関東を脱して結構遠くの温泉まで行った事もありました。しかしもちろん温泉開眼前だったしお客様旅行なので接待が主であり、一泊旅行と同じように特に何とも思わなかったのでした。

このおまけの回では、関東以外でお客様旅行で行った温泉を書こうと思います。思い出すのは、北海道の登別温泉宮城県遠刈田温泉岐阜県の飛騨高山温泉、静岡県舘山寺温泉等、また温泉だったかどうかも忘れてしまいましたが、伊勢志摩や、北陸の和倉、九州の宮崎等がありますが、どれも殆ど記憶がありません。このうち北海道の旅行だけは、有珠山の噴火跡を見学する旅行で、その跡が生々しく残っていたのが凄く印象的でした。

北海道の登別温泉に行ったのは、もう冬がやって来る寸前の11月後半。こんな時期に何で北海道なの?って思いながら、随行員として同行したのを覚えています。当時の私がイメージする北海道は、あの鉄チャン旅行でフイルムが切れた強烈な寒さです(178回目のブログをご覧下さい)。なので相当寒いだろうと覚悟をして行きました。その時は、2000年に大噴火した有珠山周辺がそのまま保存され、見学用の散策路が出来たとの事で企画されたツアーでした。こんな被害の場所を見学するなんてバチが当たると思いながらやって来たのですが、こう言った事が地元の復興に役立つという事を初めて知った時でもありました。そしてこの旅行、この散策路は私にはとてもショッキングだったのでした。

とにかく噴火の跡がそのまま残されていたのです。噴石で穴の空いた建物、ズタズタになった国道、崖から顔を出している水道管等、これはこの場で説明するより、ネットで調べてご覧になった方がいいと思います。「有珠山西山山麓火山散策路」と検索すると直ぐに出て来ます。この光景を目にした時には、自然の猛威と言うか人間の無力さと言うか、呆然と立ち尽くしていたのを覚えています。そしてその時の「シン」とした空気。まさに凍れる感じの空気だったのですが、不思議と心地のいい寒さを感じたのです。あの感覚は何とも説明が出来ないのですが、大自然の中に1人佇む感覚。人間も単なる自然の中の一部なんだと思わずには居られなかった瞬間でした。これがあまりにもインパクトが強すぎて、その後の登別温泉は全く覚えていないのです。温泉開眼後だったにも拘らず、登別温泉には本当に悪い事をしたと思っています😵。

次は、宮崎の旅行。これは本当に勿体無いのさいたるモノ。この時はゴルフの会の旅行で、当時、男子プロゴルフで盛り上がっていた、宮崎フェニックスゴルフ場に行くツアーを企画したのです。せっかくここまで行くのだから、霧島温泉とか日南の方とかに泊まればいいのに、私も温泉開眼前。全く気にせず二泊三日でゴルフ三昧。宮崎空港に着いてゴルフ場へ直行。すぐにプレー。翌日もプレー。最終日はなぜか早々と帰る計画で、そのまま宮崎空港へ向かい帰路。ここまで来て観光無し。お土産等の買い物は空港のみ。仕事じゃなければ、絶対に途中から別行動して観光したと思いました(最終日に別行動をして観光していたお客様もいました😅)。

この時はこのゴルフ場のホテルに泊まりました。バブルの時には名を馳せた「シーガイア」です。全天候型のプール「オーシャンドーム」を擁し、ゴージャスなリゾートホテルというイメージはまさにバブルの象徴。その後このホテルは経営破綻となり、外資による企業再生の見本となってしまいました。こんなゴージャスなホテルですが、例の如くお客様の対応で忙殺され、殆ど記憶が無いのも勿体無いです。お風呂も確か部屋のシャワーで済ませた記憶があります(このシャワー室が結構豪華だった覚えはあります😵)。なのでこのゴルフ場が本当に九州なのか、このホテルがあの有名なホテルなのかが実感が湧かずに、帰って来て家族からも不思議がられたのがとても印象に残っています。

また飛騨高山温泉の随行の時も、何だかくだらない事を覚えていて、温泉や街並みを全く覚えていません。この旅行は、信州安曇野を経由して、近年開通した安房トンネルを通って高山までバスで行くという、随分と時間を掛けてのんびりと行く旅行でした。この行程はまさに温泉三昧、お客様はとても好評な旅行でした(もちろん我々は入れません😵)。そしてこの旅行は、安曇野から高山に抜ける道路が凄かったのです。

お客様は昼ご飯や立ち寄り湯の休憩で一杯入っているので、この道すがらは殆どの人が寝ている感じでした。我々は寝るわけには行かず、いつものように前の座席に座り、鉄チャンならぬバスチャンをやっていました。しかしこの光景が凄かった。安房トンネルが開通した影響で交通量は格段に増え、そこに通じている以前からあった国道のインフラが、とても脆弱そうに見えたのです。

大型バスや大型トラックがたくさん走っており、その割には道は狭く、特にトンネルの断面がとても小さく感じました。トンネルに入ると前方からやって来る大型バスや大型トラックとはぶつかりそうな感じ。我々が乗っているバスも、左側面をトンネルにぶつけそうなくらい左側に寄って走っています。おそらく安房トンネルが開通する前は、それ程交通量が多くなくこんな事は無かったのでしょうが、このトンネルのお陰で、こんな状態になってしまったのだと思います。我々は大型のバスやトラックとすれ違う度に両肩をすくめていて、高山に着く頃には汗ばんだ身体と肩が張った感じになっていたのを、今でも明確に覚えています。

遠刈田温泉も、覚えているのは蔵王の紅葉くらい。あとはくだらない上司のダジャレ、「遠刈田はとおかった😅」。その他、肝心の温泉は全く記憶がありません。しかしこの紅葉は本当に綺麗だった。それまでは、「紅葉なんてただ葉っぱが枯れてるだけじゃないか!」と、思っていたのですが、この蔵王の紅葉は私の紅葉の概念を完璧に覆したのです。蔵王エコーラインから御釜展望台へ向かう道すがら、私は前日の宴会で、一発芸で一気飲みなどやっていた為、この日は絶不調だったのです。そんな今にも大変な状態の時に、バスの全面に見えて来たのがこの見事な紅葉だったのです。黄色、赤、オレンジ、その中に緑色と、それはそれは見事だったのです。その見事さに、バスの中からも歓声が上がった位でした。お陰で私の二日酔いも良くなり、何とか旅行を終えられたのを覚えています。

また金沢の和倉温泉は、当時はまだ北陸新幹線が出来ておらず、最初は列車で行くのかと絶望的になっていたのを覚えています。当時は上越新幹線は開業していたので、越後湯沢で乗り換えルートが出来て北陸へは随分と早くなっていたのでした。それでも北陸はまだまだ遠いイメージでした。しかしこの旅行は何のことは無い、行きも帰りも飛行機でした。私はこの時、北陸にも飛行場があるのを初めて知ったのでした。北陸の富山には父の実家があり、昔から帰省と言うと電車でしか行った事が無く、逆にそこの親戚達も上京して来る時はやはり電車、または夜行列車でした。なので、この飛行機という選択肢がある事に、とてもびっくりしたのを覚えています。この衝撃が強すぎて、旅行の思い出は本当に無く、そして飛行機であっという間に着く北陸に、只々唖然としていたのを覚えています。この時の旅館はもしかしたら、あの有名な加賀屋だったかも知れません。何だか本当に悲しくなって来るような温泉旅行が多かったと実感しています。

こんな感じで、私の会社員生活での温泉旅行は、数は多いけれど全くと言っていい程その温泉地の記憶がありません。これらの温泉地は遠いので今でも中々行けず、本当に勿体無いと痛切に感じます。その後リベンジ出来たのは、北海道の登別温泉のみ。他の温泉にも絶対にまた行って、あの頃の記憶を取り戻したいと思っています。

リベンジ北海道旅行の登別温泉での夏祭りの一コマ。鬼のキャラクターが生ビールを売って歩いてました😊。このサッポロクラシックの生ビールは本当に最高に美味しいです👍。

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