前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

293.私の会社員時代、やってらんない記憶.40

あまりにやってらんない記憶が多過ぎ、少し気が滅入って来ましたので、ここで少しコーヒーブレイクでは無いですが、私の会社員時代の交通違反について、参った思い出を二つ程書こうと思います。営業で外回りをしていると交通違反はツキモノ。車やバイクを使うので、当時は本当に交通違反がついて回りました。これも本当にやってらんね〜って思った物でした。

一つ目はまだ会社に入ったばかりの事です。営業担当者の1人が体調不良の為、午後帰る事になったのです。こんな事はよくある話で、当時はコロナ禍でも無く、またこの会社は病気についてはとても寛大で、体調が悪いと帰ったり、休んでいた人が割合に多かったように思います。こう言った所は本当にいい会社でした。早く休んで早く復帰して来い、という感じでした。いつもはこれで終わりなはずでしたが、この日は夕方に顧客から連絡が入りました。内容は今日使いたい品物がまだ届けられていないという事でした。直ぐに届ければいいのですが、これが新人の私しか手が空いている人間が居なかったのです。内容は、品物を顧客に届けるだけです。簡単な仕事なので私に行って来いと指示が来たのです。しかし時間がありません。

私は、割と配送のアルバイトをやっていた関係でこの辺りの土地勘は結構あり、顧客の場所を聞いているうちに、ここは時間的に厳しいと思い、それを話しました。しかし時間が無いとの事で、車のキーを渡され品物を積まれ、行って来いと店を出されたのでした。仕方無しに顧客の希望する時間に間に合わせようと、結構飛ばして車を走らせました。すると信じられない事に、住宅街の交通量も少ない道で速度取り締まりをやっていたのです。いきなり、「止まれ」の旗が出て来て車を止められました。私は取り締まりに捕まったのは初めての経験で気が動転してしまい、警官に向かって「品物を時間までに届けなければいけないのです」と言いました。

警官はそれでも違反は違反と言って、とにかく処理は早くしてあげるとの事でした。私もどうしていいか分からず、仕方無しに切られた切符を持って、直ぐ様、車を走らせました。何とか顧客の希望の時間には間に合い会社に帰って来て、この事を事務の上司に話しました。そして違反切符を渡しました。当然、会社の指示で言ってこういった目に遭ったのだから、会社が違反金を払う物だと思ったのです。本当だったら点数だってどうにかして欲しいと思いました。

しかし上司は当然の如く、「こんな物は自分で払え」と言います。これには私はカチンと来てしまい、入社したばかりの新人という事も忘れて、言い返してしまいした。「さっき私は間に合わないと言ったのに、会社の指示で出され、そして間に合わそうとしてこう言った結果になったのです。なので私がこの罰金を払うのは納得出来ないです。」。一瞬、店内がシーンとしましたが、上司はとにかく、今までこういった物は払った事が無いと、取り合ってくれませんでした。思えばこれが、「ケチな人間が多い」に続き、会社に入って2度目の「やってらんね〜」でした。会社の為と思ってやったのに、これには暫く釈然としない気持ちが消えませんでした。さらに会社がケチだから社員もケチになるのか、とも思いました(これは余計か😅)。

これは現代はもちろん、当時としても違反金を会社が負担する事なんて認める訳が無いのですが、こういった事が一時が万事、暗黙のルール、良きに計らえ的みたいな感じだったのが、やってらんなかったのです。確かに自分の会社だけでは無く、この頃の会社は大体がこんな感じだったのです。いい事をしたのに罰金を払うと言うのは、何とも気持ちのいいものではありません。当時は色々な事でうやむやな事が多く、会社へのモチベーションという意味では悪い慣習だったと思います。

次は私が営業のリーダーになった時の話です。営業のリーダーの仕事は苦情処理と言っていい程、過酷な仕事だと思います。この頃は毎日が本当に戦場のようでした。何も無い日が無いと言った日々が続き、酒の量も増え血尿が続いた時期でもありました(赤いオシッコを初めて見た時は本当にビックリしたなあ😨)。そしてこの時、とんでも無い事で免停になったのです。因みに私は新人の頃の交通違反の件があった位で、それ以来違反はしていませんでした。

その時は、所謂直ぐに固まる営業担当がおり、この担当の苦情が格段に多かったのです。そして苦情の連絡が入る度に、車やバイクで顧客へ謝りに行く日々が続いたのでした。その担当は本当に良く顧客を怒らせていました。そして特に上顧客を怒らすので本当に困ったモノなのでした。上顧客になればなる程苦情となれば直ぐに駆けつけないとなりません。そして急ぐと無いのが駐車場です。案の定、1度目の苦情は止める所が無く顧客の門の所に置いて、帰って来ると、しっかりチョークで何やら書かれていました。当時は、ミニパトと言われた駐車違反取り締まりのパトカーがグルグル回っていて、それに捕まったのです。次が駅前の上顧客、これはさすがにバイクで行ったのですが、この時も顧客の店の前に止めておいたら、バイクのハンドルに何か付いていました。何やら自転車等の取り締まり地区との事で、捕まってしまったようでした。

そして、この担当に続けて2回違反で捕まった話をして、苦情になる前に私に相談するように説明したのです。しかしその翌月、またも苦情が。そしてその後も苦情は続くのでした。何とか交通違反はしないよう気をつけていましたが、ある日、やはり猛烈な苦情が入り急いで車で向かいました。しかし駐車場が無い状況。仕方無しに路上に車を止め、そのまま顧客へ出向きました。そして何とか顧客を収め、車に戻るとまたまたチョークの白い文字。まさかとは思いながら警察へ出向くと、違反が6点となり免停のお告げ。またまた違反金を支払い、これでこの担当のお陰で数万円の出費となりました。おまけに車が無いと営業にならないので、一日有給を潰して免停解除の講習に行きました。

特にこの後者の時は子供の学齢期の時でもあり、妻にも中々頼みづらく、罰金を払うのが大変だった事が思い出されます。しかしこの時は、やってらんね〜、とは思いませんでした。リーダーとはそう言うモノだと、何となく私なりに自覚があったのだと思います。自分も随分と迷惑を掛けたのだから、今度は自分がこの部下達にしてあげる番だと思っていたのです。今となってはいい思い出です😅。

昔は随分と違法駐車が多かったですが、今は本当に道がスッキリしてますねf:id:x-japanese:20220820100639j:image