前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

201.鉄チャン旅行の思い出3 347M編

鉄チャンをやっていた時期は、本当に色々な思い出もたくさんありました。今となっては本当に懐かしい思い出。よくもまあそんな色んな事があったなあと思ってしまいます。これは私が無事成人を迎え、大手を振ってお酒が飲めるようになった頃の話で、よく乗っていた大垣夜行の347Mの面白い経験談です。この時から人間ウォッチングの元祖のような事をやるようになり、終電車が織り成す人間模様にとても興味を持ったのでした。

既に私は鉄チャン活動は随分と下火になっていたのですが、ある時、懐かしの飯田線の撮影に誘われました。この時はちゃんとした民宿に泊まるというので、私は飲み会のつもりで参加しました。ここは既に、私が高校の時に撮影に来ていた頃の旧型電車は無く、後継としてまた違った旧型電車が走っていました。私はこの電車を少し撮った後は、主にこの旧型電車特有の、あのウォーンという音を楽しむ為に乗り鉄をする予定でした。もちろん覚えたてのお酒をチビチビやりながら(笑)。今テレビ番組でも時折見る「呑み鉄」の元祖といったところでしょうか。

出発はもちろんいつもの大垣夜行の347M(その後色々と列車番号は変わったようですが、私は大垣夜行と言えばこの番号です😊)。この時は夏休みも終わり初秋の頃、さほど混雑しておらず数人の友人とボックス席を2っ確保。早速買っておいたウィスキーで乾杯。最初は水割りとかコーラ割りでいい気分でしたが、そのうちに酔いが回ってくると割るのが面倒になり、紙コップにストレートで飲み始める奴が出てきました。ウィスキーは民宿での宴会の為に数本あったのですが、電車の中では割るものが無くなり、私もストレートでチビチビやるようになりました。

今まではこの列車に乗っている時は、翌日からの撮影があったので大体早々と寝ていました。しかし夜行列車での呑み鉄は本当に幸せな気分。流れる夜景、適度な揺れ、気持ちいい酔い加減と、寝ている時間が勿体無い位です。よく見ると周りの乗客も結構飲んでいる人も多く、騒がしく無い程度の動く居酒屋と言った感じで、クセになる感じがしていました。そしてこの347Mは終電車という性格も持った夜行列車という事が関係して、色々な人達の色々な場面が見られるのが分かりとても面白く感じ、それからというもの、この列車に乗ると人間ウォッチングをするようになってしまったのです。

当時は東海道線と言えども今のように頻繁に列車が走っていたわけでは無く、夜の時間帯になると結構本数も限られていました。出発間際になるとサラリーマン風の人達もかなり乗って来ます。おそらく二次会三次会と飲んで来た人達が多いのでしょう、赤い顔した人達ばかりが目立ちます。出発して暫くはその人達は起きていて事件は起きません。そのうちに深夜の時間帯に入り、茅ヶ崎、小田原と進んでくると、面白い(失礼😅)光景を見る事が出来ます。

すぐ後ろでうたた寝をしていた人が突然ガバッと起き上がります。「しまった〜、乗り越した〜」と言いながらバタバタと下車して行きます。まだこの辺りならタクシーとかで何とかなるのでしょう。まだまだ元気で降りて行き、それ程絶望的では無い人も多いですが、大体の人は「やっちまったな〜」といった感じで降りて行きます。これが熱海や沼津を過ぎると今度は逆にそれ程のショックはない感じで起きる人が出てきます。ガバッと起きたかと思うと、「あ〜、またか〜、折り返すか〜」。この人達は347Mの逆バージョンの344Mに乗って帰って行くのでしょう。結構慣れている感じがする人もいます。しかし中には初めて来た場所のような人もおり、何が起きたか理解出来ず網棚の荷物を落としたり、急いで降りる時に荷物を落としたりして、慌てふためいている人もいます。

そして富士、静岡と進むと、これまた違うリアクションの人達が出てきます。特に静岡や浜松では長い間駅に止まります。当時はこの電車は停車時間に貨物列車に抜かれており、初めて体験した時は旅客列車が貨物列車に抜かれるなんてと、本当に驚いたものでした。その時間にホームに降り立つ人は、殆どが鉄チャンか寝過ごしたサラリーマンの人。何とかしないとと対応策を考えても頭が働かないといった感じの人が多く、駅員さんに相談している人も多く、始発の東京方面の新幹線の時間を聞いている人も多かったです。夜行列車にはさまざまな人間模様があるんだな〜と、これ以降いつもこの列車に乗ると思っていました。

そして我々が降りる豊橋以降では、ガバッと起きた人は暫く立ったまま呆然としてまた座り、頭を抱えている人が見受けられます。既に新幹線の始発でも会社に間に合わない時間なのでしょうか。日本のサラリーマンは大変だなと思い、これから自分もあのような会社員になるのかと思うとちょっとウンザリ。しかし自分はあのようにはならないと強く誓ったものでした(しかし、しっかり自分も同じようサラリーマンになっていました😵)。

そしてこの時は初めての人間ウォッチングで殆ど寝ない状況で豊橋駅に降り立ちました。初秋の早朝は気持ちよく、暫く駅のホームのベンチに座って酔いを覚ましていました。しかしその気持ちいい気候が強烈に眠気を誘います。今日の予定としては、私は夕方までに民宿まで行けばいいのでのんびりとしてしまい、そしてそのまま皆もベンチで寝てしまいました。

すると何やらザワザワガヤガヤと耳に入って来ます。眠い目を擦りながらふと目を開けると、人がたくさん立っています。私の目に入って来たのは逆さに立っているように見える人々の姿でした。何が起きたか分からず、すぐに腕で目を覆いました。腕の下からうすうす覗いてみると、我々はベンチのシートに横になってそのまま寝ていたのでした。辺りは既に朝の8時頃。豊橋駅は通勤通学ラッシュの時間になっていたのです。数人の人達が我々を見てうんざりしている顔が認識出来ました。中には我々に向かいおおっぴらに軽蔑した言葉を投げている人もいました。先程まで自分がしていた人間ウォッチングを自分がされている状況に、顔から火が出るほど恥ずかしかったのを覚えています。そのうちに電車が到着。ラッシュの人達は電車に吸い込まれ発車。ホームはガランとしました。

すかさず私は飛び起き、皆を起こしました。我々は先程一緒に降りたサラリーマンのように暫く呆然としていました。我々は見事な二日酔いとなり、この日は早々と民宿に辿り着いのでした。日本の企業戦士達を面白がって見ていたバチが当たったのか、しかしこの347Mで人間ウォッチングはその後も利用する度に続けていました。本当に色んな人達がいて面白く、その後も必ずこの夜行列車には同じような人達と巡り合え、本当に興味深かったのを覚えています。

今こんな列車は既に無く、味気ない世の中になった物だと思います。人に興味を持つというのは、本当に大事な事だと思うのに、今は逆に人と会うな接するなの時代でテレワークが当たり前な時代。初老の私は本当に寂しい限り。せめてコロナが収まり、行き来位は自由に出来る世の中になる事を切に願っています。

当時の347Mと同じ型の電車です。中間に関西地区の新快速塗装の電車が入っていますね。この頃はこんな列車はたくさん走ってました😅f:id:x-japanese:20220317204200j:image