前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

200.鉄ちゃん旅行の思い出2 今ならあり得ない編

記念すべき200回目は感動編の続編で、古き良き時代、今ならあり得ない編です。こんな時代がまた来たらいいなという希望を込めて書きたいと思います。

今は本当に生きにくい時代になりました。私が思うには、コンプライアンスとやらがこの世に言われ始めた辺りから、何やら窮屈な時代に突入したと思っています。法令遵守やら倫理観やらといった公平公正な業務を行うといった、一見ごもっともな物なのでしょうが人間は機械ではありません。私は現役社員の時にも、このコンプライアンスに対して随分と抵抗した部類に入ると思います。別にパワハラやセクハラ、アルハラ等を認めている訳ではありません。仕事でこの場合は仕方ないでしょうといったような場面でも、一方的にコンプライアンス違反として罰せられる、そんな状況がおかしいと反論していたのです。

思えば前回の感動シリーズの、三笠のバスの運転手も細かく言うとコンプライアンス違反です。深川駅の駅員だってそう、出発を待ってあげた駅員もそう。しかし、このような人達がいたお陰で、どれだけの人間が暖かい気持ちになり、私のように考え方を変えてまともに生きる事が出来るようになったか。それを考えると現役を離れた今でも反論したいと思ってしまいます。そしてこの事は、前向きな失敗や一生懸命やった事についても、一度違反となれば容赦無く罰っせられる事になります。すると人間はどうなるでしょう?益々積極的な人が減って行き、指示待ち人間や無気力人間を作っていく事になると思います。結局何もやらない人間が得するようなこのコンプライアンス、最近の日本のさまざまな停滞もこれが原因だと私は真に思っているのです😤。「何もしない」というこの事こそ、大罪だと思っているのです😤😤。

そんな事は別の機会で話す事にして、今回は鉄チャン旅行で体験した、今では考えられない事を書こうと思います。今行えばもちろんコンプライアンス違反、下手をすると解雇です。しかしこれが果たして本当にそうなのか。既に時効と思いますが、場所と時間は念の為伏せておきます。以前、私の友人が聞いた話の中に、ある駅でSLを撮影してたら、機関士が次の駅まで運転席に乗せてくれたという話がありました。まさかそんな事は無いでしょうと、ずっと嘘だと思っていましたが、ある日、それが現実に私に起こった時の話です。

私がある路線の貨物列車の夜間撮影をしに行った時の話です。ある山間部の駅まで行き一通り撮影した後、ベンチで座っていました。次の列車はこの貨物列車が発車してから数時間後。気候も良く、この後何か予定がある訳でもなかったので、のんびりベンチに座り機関車を見ていました。この機関車ももうすぐ廃止の噂があり少し寂しさを感じながら、じっくりと目にその光景を焼き付けていました。

すると運転席から機関士の人がこちらを見ている事に気がつきました。何気なく挨拶をすると、その機関士は「次の電車はかなり後だよ。大丈夫?」と言ってくれました。自分は別に予定がある訳でも無いので大丈夫との返事をしたところ、「どこまで行くの」と聞いて来たので、終点までと言ったところ、「乗せてってあげようか?切符持ってるんだろ?」と言って来たのです。一瞬冗談だと思い、「いえいえ、大丈夫です」と断ったのですが、「本当にいいよ。ほら」とドアを開けてくれました。私は半信半疑、「本当にいいんですか?」と聞くと「もちろん、だけど黙っててよ」と言いました。それを聞いて周囲に誰もいないのを確かめてホームを降りて機関車へ向かいました。間近に見る機関車は本当に大きい、そして開けてくれたドアは結構高く、入るのに苦労しました。

中に入ると運転室は結構狭く暗く、結構過酷な労働なんだという事がすぐに理解出来ました。機関士さんは私のような鉄チャンを見るとつい声を掛けたくなるそうで、やはり自分の仕事を興味を持ってくれる事に素直に嬉しいと話してくれました。そしてこの機関車ももうすぐ廃止となり、貨物自体も廃止となる事、それがとても寂しく感じると話してくれました。

そして発車です。信号が変わり出発。結構な衝撃、そして速度が上がるに連れて振動が激しくなって来ます。旅客用ではなく、それも古い機関車というとクッションという概念が無いようで、とにかくガッシャンガッシャンという感じで進みます。ライトも暗めなのでとても見通しが悪いです。機関士さんも真剣そのもの。話し掛けるのも怖いくらいで、私も真剣に乗っていました。想像以上に過酷な作業現場には私は絶句してしまい、時間としたら30分位だったでしょうか、楽しい時間を想像していましたが返ってグッタリ。鉄道業務の過酷さに本当に頭が下がる思いでした。

機関車は終点の駅の構内に入って行き、停車位置にピタリ止まると機関士さんがやっと笑顔になりました。「お疲れさん。ここは駅から少し離れているから気をつけて。駅の場所は分かるよね」と言ってくれました。「見つかると面倒だから、早く行った行った」と笑いながら見送ってくれ、私は大感激して何度も御礼をしてその場を後にしました。

まだ学生身分だった時のこの経験は、その後の職業を考えるに当たりとても役立ちました。一見華やかだったり憧れる職業でも実際は大変な作業であったりする事が身に染みて分かったのです。そして機関士の過酷な業務や真剣な態度には感動すら覚えました。今まで、憧れというか側から見ると楽しそうな職業に見えた機関士という職業。しかしそこには壮絶な現場の姿を目の当たりにして、自分もこのような真剣な仕事を見つけたいと思ったのでした。

思えば昔はこんな事がたくさんありました。「本当はいけないんだけどね、だまってて」などと食堂のおばさんが一品多く出してくれたり、「本当はダメなんだぞ」と言いながら見逃してくれた先生とか、他にもさまざまありました。勿論それを逆手に取って更に悪い事をする奴等がいる事も事実です。そういった輩が増えて来たから、こんなコンプライアンスなどという物が出来たとも言えるかもしれません。

こうなると鶏が先か卵が先かの論争で、気が滅入ってしまいます。今は機械も発達、医学も発達、ネットも発達していい時代になりました。私の前立腺癌も今の技術があるからこうして生きていられるのです。昔ならとっくに死んでいたかもしれません。しかし人間の義理や人情は昔の方が良かったと思うのは私が年取ったからでしょうか。今の時代、何もかもがんじがらめで杓子定規で少し息が詰まるように感じる事も多くあります。こんな時代でそもそも感動するような事があるのかも疑問です。せめて人間同士、昔ながらの暖かい付き合いをして行きたいと思います。

これは青梅線を走る旧型電気機関車です。撮影していたらライトを付けてくれました。こんな心遣いもほのぼのしますよね。f:id:x-japanese:20220314211317j:image

これは池袋〜目白間を走る貨物列車です。短めの汽笛を鳴らしてくれました。この頃は本当におおらかな時代でした。f:id:x-japanese:20220316081518j:image