前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

137.私の夫婦でゴルフ体験記2

私が就職した頃は、バブル期前の昭和の終わり頃の時代で、まだまだ物価も高くない時代でしたが、当時からゴルフはお金持ちや会社の偉い人のスポーツでプレー費はかなり高めでした。しかし私の会社はその社長相手にゴルフの接待や旅行があり、将来的にゴルフは必要だとの事で、営業課に配属されるや否や年2回のゴルフコンペに、半強制的に参加させられました。当時はパワハラ絶頂期😵。断れる訳も無く、当然ゴルフなどやった事も無いのに、ある秋、いきなり参加する事になったのです。

とは言え、プレーするクラブが無い、ウェアだって無い。当時はネットも無く情報が無い。ゴルフ雑誌は結構ありましたが初心者向けの情報は少ない。仕方なく先輩に聞いて何が必要か確認すると、ゴルフクラブだけでもとても今すぐ揃えられる金額では無い。肝心のどうやってやるのかも分からない。プレー費自体も数万円、無い無い尽くしで途方に暮れる位でした。幸い父が多少ゴルフをやっていたので、使い古しのゴルフセットを借りる事が出来ました。あとはウェアと靴と手袋とボールと、、、。この時点でかなりの散財でした。それを担いで今度は練習です。先輩と一緒に練習場へ行って教えて貰ったり、見様見真似やってみたりしますが当然当たりません。また練習にだってお金がかかります。スクールなんてとても入れるお金が無ない。何でこんな事をしなきゃならないんだと、怒りながら練習していたのを覚えています。そして行けば行ったでまともなゴルフは出来ない。空振りしたり、チョロったり、ダブったり、ボールはいくつ無くしたか数知れず、皆には笑われて恥をかき、時には早くしろと罵声まで浴びせられて、本当に自分が情けなく、いつも早く終わらないかと思いながらプレーをしていました(😫)。

その後私は結婚、少し都心から離れた所に居を構えました。結婚当初から妻の仕事の関係で車があったので、改めて近隣で安い練習場を探し、ゴルフに行く前は練習に行っていました。ゴルフに行く話は妻にはしてありましたが、行く前からバタバタしている私を見て、「行かなきゃいいのに」と思っていたようでした。会社では、私が車を持った事により、その後は当然のように車を出す事になり、数名を乗せて来るようにとの指示がありました。当時はナビなども無く、今度は地図を調べて道路の確認です。私は行く前からウンザリしていました。

そして当日は、私は上司や先輩を乗せる為に朝3時半位に起き、先輩達を拾ってからゴルフ場へ向かいます。それも近隣のゴルフ場は高い為、関越高速に乗っても2時間はかかるようなかなり遠い所まで行きます。私はゴルフ場に着いた時には既にクタクタ状態。とてもプレーどころではありません。そしてそこでまた散財。コンペ代がかかります。どうせ賞品など貰える訳ないのに理不尽だと思いながら参加費を払い、そしてプレーはと言うと相変わらず、いくつ打ったかも分からない状態。皆んなには笑われて恥ずかしさで一杯に、そしてバタバタしていると早くしろと罵倒され泣きたい気分、それでも何とか終わってまたまたグッタリ。お風呂に入るとそのまま泊まりたい位にドッと疲れが出ました。早く帰りたいと思いますが、これから表彰式です。当時はゴルフ場でプレーが終わった後にパーティーをやるのが当たり前。そこで今日の結果発表をするのです。車を運転しない先輩達は酒盛り状態。以前は自分も飲んでいたのですが、運転手達は我慢をしてひたすらコーラやジュースです。これからこの人達を家まで送るのかと思うとウンザリ、更に理不尽さを感じながら、その後は長い帰り道をひたすら運転。先輩達は後部座席で高鼾で寝ています。自分は眠くて地獄のようでした。家に帰ると既に夜の9時近く。妻は憐れむように出迎えてくれました。

当時はやっと一部土曜日が休みになった頃、貴重な連休を潰され、高いお金を払い、運転手までやらされ、楽しくもないプレーをし、へたなゴルフで笑われ怒られ、美味くもない昼飯を食べ、人が飲んでるのに我慢をさせられ、その後送迎をしてグッタリ、翌日は一日中寝ている、こんなスポーツは懲り懲りだと思いました。妻は妻で、せっかくの連休を潰され、車も使われ、自分は悪くないのに不機嫌にされ、日曜日もそんな状態ではイヤミの一言も言いたくなります。2人の仲は何となく険悪なムードになり、私の中ではゴルフは疫病神に思えて、何とか行かないように出来ないものかといつも思うようになっていました。

最近の妻です。軽井沢72ゴルフ場にてf:id:x-japanese:20211117091859j:image