前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

100.私のダイエットとランニング体験記3

その後も順調にランニングを続ける事ができ、たまには妻とも走る事が出来るようになりました。これは本当にいい事でした。中年を迎え子供も成長してくると、夫婦間で話す事も減って来ます。さらに私の会社は朝早く、会社帰りに飲みに行く事が多い生活だっため、朝も一人で起き、夜家に帰った頃には既に妻は寝ているという生活が続いていました。このランニングが二人の共通の趣味となる事で、その後関連した会話が増えると同時に、普段の生活の会話もそれに比例するように増えて行きました。これは思ってもみなかった副産物でした。

また土日だけ走っていた私でしたが、妻は平日にも軽く走っていた事が分かり、私もランニングが軌道に乗ってくると土日だけでは飽き足らず、平日の1日は妻と一緒に夜ランをするようになりました。そうなると当然、付き合いの飲酒は減って行きます。また飲むと翌日のランニングに響くのが嫌で、お酒の量を減らしたり抜く事が少しずつ多くなり、そのお陰か年末辺りには明らかに体重が減ってきました。この調子なら80㎏を割るのも夢じゃないかも。この信じられない現実にさらにランニング熱は上がって行きました。

ちょうどこの頃、妻が年明けにハーフマラソンに出る事を知りました。それはマラソン谷川真理が主催している大会でした。妻は友人とのランニングのお付き合いはもちろん続けており、聞けばその友人のグループで一緒に参加するとの事。知らなかったのですが、妻は既に10㎞程度のレースに2度程参加しているとの事でした。私はランニングは軌道に乗り確かに走る事は楽しいと言う実感は感じでいましたが、レースという言葉には違和感を感じました。しかし、会社の後輩が「5㎞位走れるようになったらレースに出てみるといい」と言っていたのを思い出しました。今の自分はまだ10㎞は走れていない実力、とても21㎞は無理、いやこれからも無理だろうと思っていると、妻が「ハーフは申し込みは締め切ったけど5㎞のレースは空いているみたいよ」と言いました。この5㎞のレースがマラソンの運命の始まりだったような気がします。これはやってみるか、とその時思いました。と言うか、老いては子に従えではないですが、後輩の言う通りにレースに出てみるかという気持ちになったのです。そして私の好きな言葉に「チャンスは禿頭」という格言があります。誰が言ったか知らないですが、チャンスや機会は禿頭で後ろ髪が無い、気がつくともうそこにはおらず後ろ髪も無いから二度と掴めないという格言です。これは一つのチャンスだと思い直ぐに5㎞のレースに申し込みました。

自分は既に5㎞は走れているので走り切る自信は十分あったのですが、その後改めて考えるとタイムという問題に突き当たりました。いくら走り切れてもダントツのビリでは恥ずかしい、改めてレースの説明を見ると制限時間が書いてありました。もう少し考えてから申し込めば良かったと後悔しましたが時既に遅し。今の練習のようなスピードで大丈夫なのか、急に心配になりました。それからというもの、今までの走る距離にプラス時間という概念が湧いて来ました。一体どのくらいのペースで走れば恥ずかしくないのか、制限時間内で走るにはどのくらいのスピードで走ればいいのかが気になるようになりました。

私はそれまでスポーツを初めあらゆる物に格好から入る事を好まず、ある程度実力を付けてから道具類を揃えるものだという信念がありました。なのでシューズやウェアは家にあるもので済ませ、時計やランニングポーチ等は全く持っていませんでした。しかし、時計が無いとさすがに時間が分かりません。さらにレースとなるとその間貴重品はどうするのかが気になりました。ふと見ると妻は色々揃えていて中々カッコいいランナーといった感じでした。それを見て自分も少し揃えたいと思うようになり、特に時計とポーチは必需品だなと思い、妻に付き合ってもらい高校の時以来久しぶりにスポーツ店に行きました。するとランニングコーナーがあり、その品揃えの多さにビックリ。今年の冬、東京マラソンが開催され、それが契機となってマラソンブームがまさに始まろうとしている時でした。

米軍基地周りの一周5㎞のランニングコースf:id:x-japanese:20210903090020j:image