前立腺癌、重粒子治療体験記

前立腺癌と重粒子治療について、私の経験をお伝えして行きたいと思います。

52.入院3日目、一時帰宅

午後たんまり寝てしまった関係で、またその夜は全く眠れず、病室で本を読んだり音楽を聞いたり、病室を出て食堂でまったりしてたりしました。特に身体の変調は無く、照射の時にも緊張のせいもありましたが痛さとか熱さとかは特に無かったので、本当に放射線治療したのか疑問さえ湧いてくる程でした。かなり深夜になってしまい仕方なくベッドに戻り、その後眠ってしまったのでしょう、気がつくと翌朝になっていました。

看護師さんが来て、昨日と違う所は、やたらと尿の具合、便の具合を聞かれ、腰の両サイドあたりを見せて欲しいと言ってきます。これは重粒子線治療のダメージが前立腺に出始めるているかの確認と、そして周辺の臓器や皮膚に影響が出ていないかを確認しているとの事です。いくら患部をピンポイントで狙う重粒子といえども、その手前側にある皮膚には多少なりとも影響が出るようであり、かなり慎重に確認されました。またこのように影響があるので、今後は風呂等で腰の両サイド辺りをゴシゴシ洗ったり擦ったりしないようにして欲しいと説明がありました。医師の回診も同様です。何か異常があったら直ぐに看護師に言うようにと言われ、何をオーバーなって感じで聞いていました。

この日は土曜日の為照射は無く、2回目の照射は来週火曜日との事なので、土曜日の午前中に家に帰り月曜日の夕方に病院へ帰る事にしました。朝食を食べ、看護師さんに外泊許可申請書を提出して帰る支度をしました。気になっていた患者用のリストバンドはその時ハサミで切ってくれました。また戻った時につけてくれるとの事でした。同室の方は皆さんそのまま病院にいる方達でしたが、全体的に残っていた患者が多かったように思えました。

まずは3日間の入院治療で一旦帰宅、これは精神的にもとてもいいと思いました。看護師さんからはくれぐれも言われた生活を守るようクギを刺されましたが、病院を出てしまうとそんな事忘れてしまい、久々の休日のような感覚となり、楽しい気分で家路につきました。

長野県のゴルフ場から見る夏の浅間山f:id:x-japanese:20210325164933j:image

51.夕食

随分と寝てしまい夕食の時間となり、その前に一時退院の事が気になっていたので看護師さんに確認に行きました。今日は木曜日、照射スケジュールでは、次の照射は土日を挟んで来週の火曜日となっていたので、それまでの間一時退院の希望を伝えました。一応医師の判断が必要との事でしたので、確認を取ってもらう事にしました。とはいえ、自分は帰る気満々だったので、今更ダメとか言われても困ると思っていました。

その後、食堂に行きました。昼にご一緒した同室の患者さんと、また同じテーブルに座り食事をしました。私は食べながら今日の初めての照射の感想等を聞いてもらいました。同室の方はやはり前立腺の治療で、今日が3回目だったようで、初めのあの緊張感は本当嫌だったとの話をされ、皆んな同じ経験をしたんだと思うと、少し気持ちが楽になりました。

周りを見渡すと、20人位いたでしょうか、男性しかおらず、70代前後の人が多かったように感じました。話をすると、ほとんどが前立腺の治療の患者でした。昨年から前立腺癌の重粒子治療が保険適用になった関係で、特に最近は前立腺の患者が多いとの事でした。

女性の患者は5階なのでしょうか。この時は4階は男性だけで前立腺の患者が多かったせいもあったからでしょうか、割とワイワイガヤガヤ、とても病院の食堂とは思えず、私も日が経つに連れ話す人が増えて行き、食事の時間は結構楽しかったのを覚えています。

夜は妻にメールをして変わりは無いか確認してから、食堂でテレビを見たり漫画を読んだりして就寝に着くという生活が始まりました。食堂でのひとときが、先程の重粒子線治療の恐怖と緊張をある程度忘れされてくれたようです。また看護師さんから医師の一時退院の許可が下りたとの連絡もあり、寝る頃になると、精神的にも肉体的にもかなり元通りになったように感じました。

お気に入りのホテル、夜の水上高原ホテル200f:id:x-japanese:20210326155530j:image

50.照射を終えて

受付の椅子に座り込んだ私は暫く動けませんでした。緊張と恐怖から解放された事で、身体中に倦怠感が漂い、照射中の静止がかなりのストレスだった事が分かりました。

事前に調べていたにも拘らず、まさか照射がこれほど緊張感があるとは思ってもみなかった。ただ照射台に寝ていれば重粒子が癌をやっつけてくれる程度の認識でここまで来てしまい、以前の針生検の時もそうでしたが、自分の浅はかな部分がまたしても露呈してしまったと感じました。そしてこの時初めて治療する医師にも接し、大変そうな照射の調整作業を目の当たりにして、治療する方の目線にも立つ事が出来ました。

これはもっと真摯に、謙虚に治療を受けないといけない。あと11回もある照射をしっかり受けるべく、改めて自覚したのを覚えています。やはり癌の治療は生易しい物ではない、そしてこの病院の医師達が毎日たくさんの患者に対して、このような神業的な治療を正確に根気よく行なっている事にも、改めて感謝と尊敬の念を抱きました。大変なのは自分だけでは無い、今までは自分の事ばかりの一人称的な発想がこの照射を境に消え、治療する医師達の大変さも理解しないといけないと思うようになりました。そんな思いが頭の中を駆け回り、能天気な自分に対してまた自己嫌悪を感じてしまいました。

ようやく気持ちが落ち着き、病室へ戻る気力が出てきました。先程来た通路をゆっくり戻って行きました。病室に辿り着くと看護師さんがすかさずやって来て、労いの言葉をかけてくれました。初めてで慣れないから大変だったでしょうと、そのにこやかな笑顔には少し癒されました。自分は、昨晩あまり寝ていない疲れもあって、ベッドに横たわるとそのまま眠ってしまいました。気がつくともう夕食の時間となっていました。

晩夏の青森県奥入瀬渓谷f:id:x-japanese:20210325123858j:image

49.照射終了

もう照射が始まっているでしょう、その間必死という言葉しか見当たらない、照射中のじっとしている時間。痛さとか熱さとかを感じている暇も無く、早く時が経ってくれっ、と心の中で呟きながら我慢していました。身体にうっすら冷や汗を感じます。心では静止するよう頑張っていますが、何だか身体が勝手に動いている錯覚に襲われてきます。動いたら他の臓器に当たるというのが恐怖感となり、思わず叫びたくなる心境に駆られました。いつまでやるんだろう、もう限界と思った時、扉が開き、先生が駆け寄って来ました。

「はい終了です。お疲れ様でした」。やっと終わったかといった安堵感を感じ、はぁーと息をついてその場でゆっくりしていたい気分でしたが、先生達はそそくさと固定具を外しにかかり、照射台からゆっくり降りるよう促します。そう、照射が終わると早く引き上げないといけないのです。外には次の患者が待っているのでしょう。丁寧な中にもせかす感じがとても印象的でした。照射は成功したのか、先生に聞きたいと思っていたのですが、そんな暇は無く聞く雰囲気でも無く、先程着替えた場所に連れていかれ着替えをして帰って下さいと指示されました。

着替えをしていると、身体にどっと疲れを感じました。これまでに味わった事の無い恐怖感と緊張感の入り混じった感覚。当初、照射はただ寝てればいい位のお気楽な認識しかしていなかったので、このギャップには本当に参りました。

着替えて、先生達に御礼をして、照射室を出ました。先程座っていた椅子には次の患者が待機していました。先生達は事務的でもなく冷たくもなく、どちらかと言うと優しい感じで終始対応してくれました。帰る時もお疲れ様という態度で接してくれました。しかし、私はとてもこのまま病室に帰る気力が無く、受付まで歩くと近くのソファに座り込んでしまいました。

群馬県四万温泉の、映画「千と千尋の神隠し」のモデル、積善館f:id:x-japanese:20210325111451j:image

48.照射

やっと体制が整ったのか、先生達がササっと居なくなりました。今度こそ始まると気合を入れ直しました。私は既に照射が始まっているものと思い、多少緊張しながらも身体を絶対に動かさないよう、頑張っていました。

そんな時にマイクの声がしました。「もう少し左の腰を浮かして下さい」と、先生から指示がありました。あれ?まだ照射してなかったのか、と、急に力が抜けました。少し腰を浮かせてみて、またじっとしています。すると再度マイクの声。これが5回位ありました。

私が初めてだからか、中々照射の的が決まらないようです。暫く静寂の時間が過ぎた時、今度はいきなり扉が開き、先生がやって来ました。ほんの少し腰を浮かせて戻って行きました。すると今度はまた暫く静寂の時間。また扉が開いて、今度は足を少しだけ引っ張りました。私は、こんなにも微調整が必要なのかと驚き、逆に少しでも的が狂うと本当に他の臓器に当たっちゃうんじゃないかと、次第に怖くなって来ました。

この後も微調整の繰り返しが結構続きました。これには精神的に参りました。ここまで微調整を繰り返すという事は、それだけピンポイントで患部を照射するのは難しい事なのか、そう考えるとこれまでの緊張感とは比較にならない位に恐怖感を伴った緊張感に身体中が硬直していくように感じました。

こんな事を数回行っているうち、マイクから声がしました。「これから照射を始めます。時間は数分ですが、絶対に身体を動かさないで下さい。そして息もなるべく軽くするようにして下さい。それでは行います」。えーっいきなり?。恐怖と緊張が入り乱れている中、一旦緩んだ心の準備が出来ないまま「ちょっと待って!」という感じでしたが、とにかく動かないようにしないと、と必死で身体が動かないようじっとしていました。この時は、動くと他の臓器に当たるんだと思うとそれは恐ろしかったのを覚えています。ほんの数分なのでしょうが、この時は数十分位に感じるほど終わるまでが長く感じました。

雪が残る夏の群馬県一ノ倉沢f:id:x-japanese:20210325091551j:image

47.いよいよ重粒子照射、1回目

照射室の前で椅子に腰掛けていると、部屋の前に何やら電気式の出力計のような物がありました。例の電子音も聞こえています。この施設はやたら興味深い物が多く、何の機械なのか、何の音なのか等聞きたい事がたくさんあるのですが中々聞けない状況なのがとてもフラストレーションが溜まります。緊張しながらも、何だあれは?と思っているうちに扉が開き人が出てきました。間髪入れずに直ぐに名前が呼ばれ、照射室に入るよう促されました。

いよいよ、本当に重粒子治療が始まるのです。椅子から立ち上がり、部屋に入ります。中はクリーム色基調の手術室のような空間で、右にコントロール室らしき部屋、照射室は左奥にあります。左奥へ案内され入って行くと簡易な着替えスペースがあり、そこで下着の着替えは済んでいるか質問され、用意してある照射用のスウェットに着替えるよう指示されます。着替えが終わると照射台へと案内されます。

ここで照射室の全貌が見えたのですが、映画のような初めて目にする設備であり、何がどうなっているんだか分かりませんでした。まるで「2001年宇宙の旅」のクライマックスに出てくる部屋のように見えました。どこから重粒子が飛び出して来るのか周りを見ていると、照射台に早く乗るよう促され、先生達の介助を受けながらゆっくり照射台に乗りました。

すぐさま固定具の取り付けが始まります。10日足らずで太る訳もなく、特に息苦しさもなくぴったりとフィットしました。動こうとすれば動けるくらいのフィット感でした。固定具を付け、さあいよいよだ、ここまで来ると多少緊張しながらも覚悟も出来てきて、自分に気合を入れました。しかし中々先生達が居なくなりません。私の身体の位置を調整しているのです。初めは3人位で左の腰辺りを持ち上げたり、足を引っ張ってみたり。何をやってるのだろう?と、ここでもまた暫くの間、待たされ感がありました。

真っ青な空と東京スカイツリーf:id:x-japanese:20210325081706j:image

46.新治療研究棟の待合室

いよいよ始まる、とこの時はかなり緊張していました。受付に名前を告げ排尿表を渡すと、暫く待合室で待つように指示があります。

待合室と言っても受付の前にある椅子ですが、あまり患者同士が鉢合わせないように工夫されているような椅子の設置でした。前にも固定具作成の時に来た事があるので、適当な場所に座り雑誌を取りました。7〜8人は待っていたでしょうか。通院での治療の患者は直接ここに来て照射を受けるようです。

テレビもあり中々快適な空間ですが、この時はそれどころではなく、緊張して仕方がなく取った雑誌も中々読む事が出来ずにいました。すぐ近くにトイレがあり、数人の人が利用していました。医師が色々指示している患者もいて、おそらく主に前立腺患者の排尿の調整をしているんだろうと思いました。受付の奥が照射室で、先程から奥の方で独特な電子音みたいな音が聞こえてきます。重粒子の照射音なのでしょうか、ますます緊張してきます。

トイレ大丈夫かな、ちゃんと照射出来るかな、などと考えながら30分位待ったでしょうか、突然名前が呼ばれました。ついにその時が来ました。緊張は最高潮に達します。呼ばれた人について来るよう促され、受付を通り過ぎ照射室へ入って行きました。

するとそこは照射室などが並んでいる広めの通路でした。数カ所、大きめの扉があり、その前に腰掛けが置いてありました。それは3つほどあったでしょうか。そのうちの一つの部屋の前に案内され、腰掛けて待つように指示がありました。また待たされるのかと、内心、この緊張状態は本当にキツいと思いました。

茨城県の本州一の竜神大吊橋を下から見上げるf:id:x-japanese:20210324223718j:image